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奈良・万葉の旅/明日香の里へ


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「万葉は青春の命」-犬養孝先生の筆です。令和元年5月19日、犬養万葉記念館へ。記念館の前に先生の石碑があります。

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 午前11時から商工会館で「全国万葉協会」の総会があり、参加しました。海南・万葉会では秋に「熊野古道・万葉ウオークと公演 徐福」を予定しており、この日はチラシを持参し、PRもさせて頂きました。
 午後から万葉ハイクがあり、晴天のもと、「飛鳥宮から飛鳥寺、甘樫丘へ」歩きました。三年前から毎年参加しています。万葉人の気分になって、楽しいウオークでした。
 


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 記念館の前の路地。商工会館から徒歩5分の所にあります。


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 日本の伝統の雰囲気を今に伝える建物です。

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 記念館の入口

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 中に入ると万葉美人がいました。館長の岡本三千代さんです。一緒に記念写真を撮っていただきました。

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 午後からウオークです。私たちは飛鳥宮跡から飛鳥寺、甘樫丘へと歩きました。岡地区の児童公園から明日香村役場の屋上の展望所に上がると、明日香村を見渡す景色を見晴らすことができます。
 役場の東側の駐車場に、飛鳥浄御原宮のエビノコ大殿大殿と、エビノコ郭があり、南側に7世紀後半の朝堂院があったそうです。(全国万葉協会、以下は資料より)

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 万葉歌碑があります。
 「采女の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」志貴皇子(巻1-51)
 

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 伝飛鳥板葺宮跡の説明板があります。

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  飛鳥宮跡。遺構下層(Ⅰ期)は飛鳥岡本宮、中層(Ⅱ基)には飛鳥板葺宮、上層(Ⅲ期A)後飛鳥岡本宮、(Ⅲ期B)飛鳥浄御原宮が、重層して建てられたそうです。『日本書記』に「舒明天皇2年(630)、天皇、岡本宮の傍に遷りたまふ、是を岡本宮といふ」との記載があります。皇極、斉明、天武天皇の時代に飛鳥宮で即帝位されました。

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 茅(ちがや)の穂 

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 のどかな飛鳥路を歩きます。

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 レンゲ畑が広がっています。

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 畑の向こうに飛鳥寺が見えています。

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 飛鳥寺

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 飛鳥寺の西門を出ると、お花畑が広がっています。宝筐院塔が一基みえています。
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 蘇我入鹿の首塚と伝わる塔です。

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 飛鳥寺の西に見える甘樫丘に登りました。山頂から四方を見晴らせます。香具山。

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 飛鳥村の景観。

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 耳成山 

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 後方右に葛城山(959m)。左に金剛山(1125m)。


by kigaaris | 2019-05-21 00:21 | 万葉・歴史めぐり | Comments(0)

紀伊国のあけぼの 紀伊風土記の丘~鳴神社~竈山神社へ

古代人をさがすー1 紀伊風土記の丘~鳴神社へ

 和歌山に人が住み始めた年代は?どんな人がいたのだろうか?などなど、古代人への疑問はつきません。そこで8月の現地講座は和歌山市内を探して歩くことにしました。 
 8月25日(金)、午前10時、KIGAのメンバー6名が紀伊風土記の丘に集合し、学芸員さんのお話をお聞きしました。
 資料館には県内で発掘された遺跡古墳が展示されています。縄文時代、弥生時代、古墳時代そしてその後に続く時代の展示物から、人の生活様式、祭礼用具(銅鐸など)の変化がわかります。 

 これは今から1500年ほど前の復元竪穴住居です。和歌山市内の鳴神音浦遺跡から発掘されたものを復元したものです。竪穴住居とは地面をくりぬいた半地下式のもので、広さは約14畳ほど。4~5人が住んだようです。
 竈や食べ物の貯蔵庫があり、現代人でも住めそうな気がします。
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 前山46号墳です。説明版によれば、6世紀後半に築造されたもので、前山A地区最大の円墳です。直径27メートル、高さ8メートル。墳丘内に長さ8,5メートルの横穴式石室があります。墳丘上から新羅系陶器時の高杯が4個出土していて、この古墳の被葬者は朝鮮半島と繋がりがあった人物だということがわかるとのことです。 
 私たちも中に入らせていただきました。今日も暑い日でしたが、中はひんやりしてとても涼しかったです。
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 道沿いに万葉の花が咲いていました。これはヘクソカズラですね。ヒオウギも咲いています。
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 涼しい園内でお弁当をすませて、午後は鳴神社へ向かいました。歩いても行ける距離ですが、暑いので今日は車で移動です。
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 鳴神社の前に「鳴武神社」の祠があります。この社は和歌山市内でも古い宮で、5世紀ごろの創建です。祭神は「タケミカズチノミコト」で、別名「壺の御前」と呼ばれています。
 伝承によれば、この地面の下から酒樽が発見され、中央アジアのクシャン(亀茲王国)の王女が酒造りを日本に伝えたそうです。
 かつて大きな社がありましたが、天正年間の兵火により社は喪失、紀州徳川家により社殿のあと地に「鳴武神・庚寅」と書かれた碑が建っています。
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 鳴神社は溝口上下神として、2つの祠があります。縄文時代、紀の川から水をひく、分水に成功した豪族で、近くから音浦遺跡が発掘されています。鳴とは古代朝鮮語で水がヒタヒタなるの意味だそうです。
 祭神はアメノフトダマノミコトです。天照大神の天岩戸神話に登場する神さまで、神籬(ひもろぎ)を持って立っています。 この近くに忌部の地名が残り、倭国の初期の時代、祭礼を司った一族であったようです。 
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 鳴神社から西に移動し、竈山神社にやってきました。門の近くの川に「雄詰橋(おたけびはし)と書かれています。神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコツセノミコト)が、矢傷を負ってここまで来ましたが、毒矢であったようで、その傷がもとでこの地で亡くなりました。身分の卑しい者によって死ぬのは悔しいと、雄叫びをあげたことが、この橋の名前の由来です。
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 竈山神社で宮司さんのお話しを聞くことができました。 
 倭国の初代天皇の神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)の御陵が後方にあり、その上にお社があります。これは拝殿です。
 明治の始めに官幣大社となりましたが、それまでは小さなお社があっただけだそうです。
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 拝殿から社へ続く階段が見えます。
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 拝殿後方にも立派な建物があります。
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彦五瀬命の御陵(みささぎ)です。
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by kigaaris | 2017-08-27 02:11 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)