東 道のきのくに花街道

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世界遺産 丹生都比売神社と天野の里を歩く-2

 12月というのに天野ではまるで私たちを待っていたかのような樹木の紅葉でした。

 天野大社の主祭神は丹生都比売と息子の狩場明神(かりばみょうじん)です。銅(水銀)を司る神として知られています。6世紀~7世紀ごろこの地に住みはじめ、紀の川沿岸や御坊市など県内各地に祀られています。御坊市では「笑いまつり」として有名です。

 空海(弘法大師)が仏教の修行の場をもとめてこの地に来られた時、白と黒の2匹の犬をつれた狩場明神に出会います。狩場明神に案内され、母の丹生都比売の許可を得て高野山を聖地ときめました。

 高野山はその後大火に逢いましたが、1300年が過ぎた今もその信仰は連綿と続いています。 
 天野大社(丹生都比売(にうつひめ)神社とも)の駐車場脇の紅葉です。  
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 平安時代、女人禁制であった高野山に修行僧として入山した男の妻や娘、恋人などか恋しい人をまってこの天野の地に住みつきました。天野は1300年以上もすぎた現代も当時の風景がそのまま残る地です。

 滝口入道と横笛の話
 平家全盛時代、平清盛が花見の宴を催した時、清盛の息子重盛の部下で滝口武者の斎藤時頼がこの宴に参加、この時、重森の妹の建礼門院に仕えていた横笛が舞を披露しました。
 時頼は舞姿の美しい横笛に一目ぼれしてしまいます。 時頼はすぐに横笛に文を送り、横笛もまた時頼のいちずな気持ちを知り二人は恋に落ちたのですが、時頼の父は身分がちがうと二人を許しませんでした。

 傷ついた時頼は出家し嵯峨の往生院に入り名を滝口入道と改め、横笛の未練をたつために仏道修行をしていました。 時頼を訪ねてあちこち探しまわった横笛は往生院で時頼の念しょうの声を聞き逢いにいきますが、時頼は修行中の身だからと逢わずに帰したのです。
 その後、高野山へ入山し高野聖となりましたが、時頼を訪ねて横笛はこの天野に住み、その短い生涯を終えたと伝わっています。
 また横笛は嵯峨の往生院で鶯になって時頼に逢いにいき、そのまま井戸に落ちてなくなったという話も伝わっています。 

 
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 横笛の供養塔の近くに西行法師の妻と娘が住んだお堂があります。 お堂の近くに西行の妻と娘の墓と伝わる石碑がありました。 西行は紀の川沿いの打田庄で預かり所として育ったと伝わり、打田橋に西行の銅像が立っています。
 父は藤原左衛門の条と言い、西行は平清盛と同じ北面の武士でした。当時の政治の腐敗にいや気がさして山野に身をおき暮らす念仏修験僧となったようです。 
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 天野の里を歩いたあと、再び丹生都比売神社に戻り県指定の卒塔婆群をみたあと、九度山の慈尊院に向かいました。
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by kigaaris | 2015-12-05 21:18 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)