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「なぐさとべを訪ねて」万葉ウオークと公演-5

 その頃、筑紫国(九州)の日向(ひむか)から、天つ神の子イワレヒコが3人の兄たちとともに国を統一しようと中津国(奈良)をめざして船出します。 
 『日本書記』の神武天皇の条に記載されるカムヤマトイワレヒコは最近の研究者たちの間では実在しないとの定説になっています。それでは神武天皇とはいったい誰だったのでしょうか? 
 今回の舞台ではイワレヒコ(岡村康二)として登場します。  
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 和歌山県が紀伊国となったのは倭国ができて律令政治が始まってからで、それ以前は名草国でした。名草国では「なぐさとべ」と呼ばれる女王が国を治めていました。王は天の声を聞き人々に伝える巫女的な役割であったようです。
 名草国の人々はさんさんとふりそそぐ太陽のもとで、自然を大切に自然の恵みに感謝しながら、仲良く平和に豊かに暮らしていました。 

3世紀末ごろには水軍が発達し海外との交易が盛んでした。隣の中国では唐や晋(中国)が、韓の国では高句麗、百済、新羅が興り、いくさを繰り返している状況でした。
 海外から帰った小弓(とべの兄チナソの息子)が王の館を訪れ海外の情報を伝え、土産の銅の鏡を手渡します。左から小弓(神谷洋子)、とべ王(西知美)とチナソ(中西弘和)です。
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 浪速津(なにわづ)から中津国に入ろうと軍をすすめたイワレヒコ軍は、孔舎衙江(くさかえ)でナガスネヒコの反撃にあい難渋します。
 兄のヒコイツセノミコが流れ矢にあたり倒れたので、やむなく進路をかえ、紀水門(きのみなと)に船を止めました。
 竈山の地で兄のイツセノミコが亡くなりました。その亡骸は竈山に葬り祀られました。今の竈山神社はイツセノミコの古墳の上にあります。イツセノミコが「流れ矢で死ぬのは悔しい」とおたけびをしたと伝わる「おたけび橋」が神社の東の入口付近にあります。近くの中言神社の北にイツセノミコの血を洗ったと伝わる池があり、その水面はいまでも赤い色をしています。 

 イワレヒコ、イナイノミコ、ミケイリヌの3人の兄弟は兄を亡くした悲しみから立ち上がり、兄の願いであった名草国を手に入れることを誓います。 名草山に登ったイワレヒコが最初に出逢ったのは・・・運命のいたずらでしょうか、なんと名草姫だったのです。
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 名草姫に誘われて名草国に入ったイワレヒコに姫はやさしく話しかけます。とべ王やミチネからも受け入れられ、こんなに平和に穏やかに暮らしている人々をいくさに巻き込んではいけないと悩み始めるイワレヒコでした。
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by kigaaris | 2015-11-10 20:47 | なぐさとべ をたずねて  | Comments(0)