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初代・神武天皇の兄ヒコイツセノミコトの古墳と竈山神社

 2015年の幕開けです。本年もどうぞよろしくお願いします。今年も元気でブログ更新にはげみたいと思います。
年があけて寒波襲来、各地に大雪を降らせています。 南国和歌山ではめったに雪をみることはありませんが、昨年、このブログを立ち上げた頃にも大雪が積もりました。 
 今年も3社参りはしたいと思っていますが、寒いのでまだ家にこもっています。でもお正月らしく、昨年11月30日、和歌山市の3社参りのひとつ、竈山神社を訪ねた時の写真を掲載します。
 
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  2014年の和歌山県デスティネーションキャンペーン事業のひとつとして、竈山神社が紹介され、祭礼に参加する人たち数十人が集まりました。
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  拝殿の中です。許可をいただき撮影しました。古墳によりかかるように階段があって、本殿は古墳に続いています。
 
  竈山神社は神武天皇の兄尊のヒコイツセノミコトの古墳の前に建てられた神社です。長い間、古墳の主は不明とされてましたが、近年、ヒコイツセノミコトの墓であることが認められ官幣大社となりました。2000年以上も昔、この周辺は紀ノ川の下流の海岸が広がりたくさんの島が点在していたようです。

 紀元前230年ごろ、神武天皇が各地を平定し難波から奈良へはいろうとした時、反撃する部族に襲われます。戦いが泉南周辺で繰り広げられました。この時、神武の4人兄弟の長男のヒコイツセノミコトが流れ矢に当り負傷します。オノミナトから船でここまで来た時フコイツセが、身分の卑しい者の矢に当って死ぬのが悔しいと雄叫びをあげて亡くなりました。
 この神社のすぐ前に「おたけび橋」が架かっています。

 神武一行はこの近くで名草土畔(なくさとべ)と戦い勝利します。土畔の足は海南市の千草神社に、胴体は杉尾神社に、頭はおこべ神社に祀られています。
 神武はそののち、自分は太陽の子であるのに太陽に向かって戦うのは間違っていると言って方向をかえ、紀伊国の海岸線を通り新宮へ向かいました。新宮の海岸付近まで来た時、海神(わだつみ)に阻まれ、船を海岸へつけることができませんでした。

 この時2人の兄ぎみが海神のいけにえとなって海に身をなげました。海岸近くの熊野古道沿いに「浜王子」として祀られています。
 岸べに着いた神武一行は那智の海岸で丹敷土畔(にしきとべ)と戦い勝利します。『日本書記』の記載ではそのあと大きな熊が現れ、その毒気にあたり神武たちは気を失ってしまったようです。 

 この時、新宮の神倉山(かんのくら)に住むタカクラジノミコトの夢の中に天照皇大神(アマテラスオオミカキ)が現れて剣を授け、神武一行を助けにいったと記載されています。
 フツノミタマという剣を手にした神武は大熊にも勝ち、那智の八咫(やたがらす)の案内で奈良へついたというお話です。

 竈山神社の宮司さんが祭礼の後、丁寧にお話をしてくださいました。
 この社に東道(有限会社ファミリーメイト)が出版した『昔むかし きのくので』の本を寄贈させて頂きました。
 
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 拝殿から右手にまわり、本殿の屋根を撮りました。ここから後方に古墳があります。
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 南面に古墳へ続く石段があります。 昨年、周辺から苦情がきたので宮内庁から人が派遣され、森の木が伐採されてしまいました。浜からの風遠しが良くなった半面、森が無くなってしまい残念です、と宮司さんのお言葉です。本当にこの周辺の景色がかわり私も残念に思います。
by kigaaris | 2015-01-02 17:17 | ふるさとの歴史を訪ねて