東 道のきのくに花街道

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吉宗を支えた男-(7)

 さまざまな苦労を乗り越えて見沼代用水の工事は完成する。それまで荒地であった土地が米が獲れる豊かな土地になり、江戸や各地から人々が移り住み人口も増えた。
 弥惣兵衛は幕府の勘定普請方から吟味役に昇格する。農民が幕府の最高責任者となるのは異例の出世であった。
 しかし、弥惣兵衛は自分の仕事にまだまだ満足していなかった。

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 江戸商人の鈴木文平と兄の高田茂右ヱ門兄弟は弥惣兵衛と交流が厚く、弥惣兵衛を資金面でも支えてきた人である。ある日、兄弟が弥惣兵衛の屋敷を訪ねたとき、弥惣兵衛は自分の気持を伝える。
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 見沼から江戸へは今は陸路しか使えない。江戸に通じる利根川と代用水との高低差が約3尺ほどあり、船が使えないからである。しかし、弥惣兵衛は船を使って運行する計画を話し出す。川の中に箱状の扉を作り、川の水をせき止め、水面を上昇させた状態で片方の扉を開いて船を川上に移すという。パナマ運河と同じ構造であるがパナマ運河より100数十年も早い。井澤弥惣兵衛が考案した閘門式の方法は、通船掘と呼ばれている。 
 
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 弥惣兵衛が亡くなる前に帰省し、野上八幡神社へ寄進を行ったあと、藤白峠で初恋の人とめぐりあうシーンで幕が下りる。感激のシーンを岡村康司さんの「太陽の人」がエンディングを飾る。
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 弥惣兵衛が民を救うために自らのすべてをかけて農地開拓に取り組んだことは、和歌山県内の人より、埼玉県見沼地方ではよく知られている。昨年、見沼から海南市の弥惣兵衛さんを知ろう会を訪ねて一行が来県した時、交流会でその思いの深さを感じることができた。
 私も海南市に生まれ育った人間として弥惣兵衛さんを誇りに思う。これからも機会があれば「ミュージカル“井澤弥惣兵衛”」を公演できることを切に願っている。
 この日、おいでいただいた観客の皆様、本当に有難うございました。

 井澤弥惣兵衛を知ろう会の皆様、埼玉県見沼の皆様、野上八幡神社さま、お世話になりました。ありがとうございます。
 

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by kigaaris | 2014-03-16 01:08 | ミュージカル“井澤弥惣兵衛” | Comments(0)