東 道のきのくに花街道

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タグ:神社・寺 ( 19 ) タグの人気記事

熊野古道・万葉ウオークと公演『Musical 有間皇子』-4

  
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 和歌山城がそびえています。昭和30年代、私が高校生の頃ここは廃墟でしたが、その後再建されました。今では和歌山県の象徴的存在です。


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 城内には大きな木がそびえています。ここは植物の宝庫なのです。


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 万葉時代からの植物も沢山生育しています。和歌山城内は万葉ファンにとって見どころ満載です。


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 石垣に根をはった木。生命力がありますね。


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 城内の紅葉渓(もみじだに)庭園で。


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 紅葉の季節に紅葉谷は、格別な風情があります。


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 今日は朝から良く歩きました。これからMusical「有間皇子」公演を観にいきます。県民文化会館まで、徒歩10分です。紀伊万葉ネットワークの皆さん、KIGAの皆さん、お疲れさまでした。
 good job !!

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by kigaaris | 2017-11-27 23:25 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

2017 熊野古道・万葉ウオークと公演『Musical 有間皇子』-3

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 11月2日の夜は和歌浦の宿『木村屋』で万葉交流会がありました。東京の石橋さん、横浜の金子さん、そして奈良の全国万葉協会から荒川さんが参加され、紀伊万葉ネットワークの村瀬会長、事務局長の木綿さん、理事の馬場さん、山元さん、海南・万葉の会の唐津麻会長などが参加、楽しいひとときを過ごしました。 
 写真は翌朝、6時。木村屋さんから見た和歌浦湾です。名草山に太陽が昇りはじめました。


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 朝、出かける前に記念撮影です。さあ、今日も頑張ります!!



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 午前8時30分受付開始。JR和歌山駅東口。「きのくにの歴史を訪ねてin わかやま」のウオークに参加の人たちが集まってきました。9時きっかりにスタートしました。今日も良いお天気です。
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 戦国時代、紀州には戦国大名がなく、各地の宗教集団が土地を守っていました。ここ太田城はその一つ、日前宮を守っていた太田党がありました。党首は太田左近。秀吉による水攻めにより滅んだ太田党の供養塔が建っています。 
 この戦いによって紀伊国の戦国時代は終わりを告げたのです。雑賀一族と違った道を歩んだ太田党でした。

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  太田城址の碑がある来迎寺で。ガイドはKIGAの平石さんです。


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  和歌山市大田から和歌山城に向かって歩きます。


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 和歌山城が見えてきました。でも、まだお城には入りません。


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 刺田比古神社です。

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 この日は神社の祭礼があったのですが、ここでも宮司さんが説明をして下さいました。


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  次に向かったのは禅林寺です。かつて、ここから葦の原っぱがあり、遠くまで見晴らすことができたそうです。

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 禅林寺の境内にキリシタンのお墓があります。お寺なのになぜ?
 ここは山本さんの担当です。山本さんは何度もこの寺に通って、住職さんからお話をお聞きしたとのことです。


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 禅林寺から寺町に出ました。ここは無量光寺です。首大仏が見えますか?



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 無量光寺の境内に徳本上人の大きな碑がたっています。徳本上人は和歌山県の日高に生まれました。熊野古道沿いに多くの名号石が建っています。



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皆さん、ちょっと疲れたのでしょうか、椅子に座ったり、写真を撮ったりしています。


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 報恩寺の境内はいつも綺麗です。秋景色を満喫しながら徳川家の墓所に向かって少し歩きます。

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 紀州藩主、徳川頼宣夫人の瑶林院と親族の墓です。ここは須川さんがガイドしました。



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 博物館の近くでお昼をいただき、和歌山場内へ。紀伊万葉ネットワークの堀畑さんの担当です。
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by kigaaris | 2017-11-27 22:11 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

2017 熊野古道・万葉ウオークと公演『Musical 有間皇子』-2

 
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 11月2日、大塔宮ゆかりの春日神社から歩くこと約4km、千種神社に着きました。
 この辺りは縄文時代から人が住み、かつて百草(ももくさ)神社と呼ばれていましたが、いつの頃からか千種と呼ばれるようになったそうです。
 境内に大きな杉の木があり県指定天然記念物です。足元に祭られていたお地蔵さまを巻き込んで幹が太くなったとの伝説があります。

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 古代、この地に女王、名草戸畔(なぐさとべ)が住んでいました。『日本書記』によれば、神武天皇の東征のおり、天皇の軍に刃向って殺されてとの記載があります。
 地元の民たちは戸畔の遺骸をひきとり、頭はオコベさん(宇賀部神社)へ、胴はオハラさん(杉尾神社)へ、足はこのアシガミさん(千種神社)へ祀ったと(密かに)伝わっています。 

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 今日は良く歩きました。(私は車で伴走の担当でしたが) 2時過ぎにようやく着きました。阪井の万葉の丘です。ここの20種ほど万葉の草花があります。


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 万葉の丘から国道を渡り、北へ向かいます。杉尾神社鎮座する森の西麓を歩くこと約1,5kmほど、宇賀部神社につきました。
 宇賀部神社は地元ではおこべさんと呼ばれています。名草戸畔の頭を祀るので、頭(こうべ)がおこべさんの名称の由来です。
 一方、紀の川に大きな蛇が流れ着き、胴に光るものがあり捕らえて、頭と胴と足(尾?)に分けて祀ったとの伝承があります。
 この地域は縄文時代から人が住みつき、溝口遺跡や室山遺跡などから当時の生活の様子を知る遺物が発掘されています。新しく鉄の鋳造や農耕技術を持った弥生人がせめてきた時、戦って服従しなかった先住の民たちが、蜘蛛、楠、蛇などと呼ばれてことが折口信夫の『古代研究』に記載されています。近くにクモ池があり、そこで名草戸畔が殺されたとされています。
 古代、和歌山県内には岩出に荒川戸畔(あらかわとべ)、那智海岸に丹敷戸畔(にしきとべ)が住んでいました。丹敷戸畔が住んだ地は大雲取超え、小雲取超えと呼ばれています。やはりクモです。
 荒川戸畔のほうは戸畔に娘のトホツアユメマクハリ姫が神武天皇の妃となり、その娘のトヨスキイリ姫は奈良県の三輪山に天照大神の霊代を祀って鎮座し、その後、紀伊国の名高(海南駅の近く)を経て浜の宮にしばらく鎮座し、全国を回って最後に伊勢神宮に鎮座されたそうです。
 倭王朝が成立するまでの間、各地の豪族たちとの間に国譲りの話合い(戦い?)があったようです。

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 宇賀部神社の境内の一室に小野田寛夫さんが書いた書があります。終戦を知らされず、ルパング島で30年を過ごした小野田さんは海南市藤白に生まれました。しばらく小野田の地に住んでいたのです。

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宮司さんも小野田さんです。小野田寛夫さんのご親戚とのことです。この日は特別にお話をうかがいました。


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by kigaaris | 2017-11-05 20:10 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

2017 熊野古道・万葉ウオークと公演「Musical 有間皇子」ー1

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 11月2日(木)~3日(金・祝)、熊野古道・万葉ウオークと公演「musical 有間皇子」があり、2日は海南市内の古道を歩きました。 午前8時30分、JR海南駅集合。9時スタートです。県内外から万葉ファン23名があつまりました。


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 まずは海南駅前の万葉歌碑の説明から。今日の講師に村瀬憲夫氏(近畿大学名誉教授)、馬場吉久氏(全国万葉協会)、山元晃(紀伊風土記の丘)があたられました。


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  海南駅から古い町並みの雰囲気の残る民家を通りぬけて藤代神社へ。


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藤代神社境内に有間皇子神社があります。



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 有間皇子神社の境内に建てられた万葉歌碑。「藤白の み坂を超ゆと 白たへの わが衣では 濡れにけるかも」
 海南市で生まれた雑賀紀光氏の揮毫によるものです。





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藤代神社をあとにし、熊野古道を菩提房王子へ歩き、国道を横切り松代王子へ向かいます。


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 春日神社へつきました。境内には万葉の草木が生い茂っています。今日はここでランチタイムです。


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 春日神社の長い石段の途中に、大塔宮護良親王の遺跡があります。大晦日に訪れたことから「歳越神社跡」と記載がありました。この時、大野十番頭が宮をお迎えしたそうです。


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 春日から海南高等学校の正門前をとおり、国道370号線を横切り、野上に向かいます。旧野上鉄道の重根駅を過ぎたあたりから右手の民家の並ぶ道に入りました。
 


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  ススキと秋明菊が秋を告げています。

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 狭い路地ですが周辺には秋の花が咲いていました。


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 コウヤボウキの白い花を咲かせています。


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 黄色い花が咲いています。その隣の葉はムカゴですか?

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 川の向こう右手に海南高原の峯が並んでいます。この道は高野西街道と呼ばれ、空海が歩いた道なのです。

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by kigaaris | 2017-11-05 00:07 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

熊野古道を歩く 小辺路・八木尾~本宮/大日越えで湯峯へ

 KIGA・熊野古道歩こう会 10月のご案内
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 みかんや柿、栗などが店先に並ぶともう本格的な秋ですね。
 10月は小辺路の八木尾バス停から本宮へ、大斎原を拝観して本宮から湯峯までの大日越えを歩きます。本宮までは平坦な道ですが大日超えは急坂です。約8km、標高差300m。

 ■日 時  平成29年10月19日(木) AM6時50分
 ■集 合  JR和歌山駅 東口 
 ■コース予定 

 和歌山駅からレンタカーで・本宮経由⇒八木尾バス停⇒道の駅奥熊野古道本宮⇒平岩口バス停⇒三軒茶屋跡⇒祓戸王子⇒熊野本宮大社⇒大斎原⇒月見ケ丘神社⇒湯峯王子⇒湯峯温泉⇒海南駅⇒和歌山駅
 

 持ち物 交通費、お弁当、飲料、雨具、保険証、着替えなど。

 参加費 500円(郵送費、資料代など)+交通費4500円~5000円程度(レンタカー代金を参加者人数で分担します。)

🌷ウオークは当日、朝6時の予報で警報が出た場合は中止となります
※申込は10月12日までお願いします。
 
葉書、FAX、Eメール等でお申し込み下さい
 

 KIGA熊野・高野国際語り部の会

  〒640-0302 和歌山市永山83-5

  電話 073-478-2711090-9704-7786 (東)  
  Emailkiga@silk.plala.or.jp

  



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by kigaaris | 2017-10-04 22:23 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

熊野古道・近露の里~野長瀬一族の墓~比曽原王子へ

 沿道に並ぶ旅籠に古道の佇まいを感じながら、近露の里を歩きます。500mほど歩くと道が狭くなり、山の登り口付近に野長瀬一族の墓がありました。
 南北朝時代、この地にすむ野長瀬一族が後醍醐天皇の子の大塔宮護良親王を助けた功績により「横矢」の姓を賜ったと『太平記』に記載され、この墓地には横矢さんの墓が多く見られます。
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  何気ない山の景色ですが、いつの頃からか「乙女の寝顔」と言われるようになりました。熊野古道を歩く人たちは本当にロマンチストだったのですね。
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 近野小学校を左手に見て、右手の急な階段をのぼると広い境内があり、近野神社です。今日はここで昼食タイムをとりました。
 近野中学校を通り、楠山坂の急坂を上りきった所に石仏が立っています。舗装された上り坂が続きます。 
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月待供養塔と書かれています。三体月伝説の伝わる高雄山にほど近いところです。
緩やかな勾配ですが、まだまだ登り坂です。
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 中央やや左手のとがった山が見えます。三日森山です。熊野古道には地元の人や行商の人達が使うもう一つの道があり、この山の道もそうです。
 説明版によると、小栗判官の妻の照手姫が夫を箱車にのせて、この山を越えるのに3日かかったことから「三日森山」と言われるようになったそうです。
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 熊野古道には山野草が多く見られます。この花たちの名は何というのでしょうか?
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 比曽原王子につきました。楠山坂の上り口から約1,3km。
 ここから継桜王子まで約1、2km。上りが続くので結構きついですが、周囲を山に囲まれた大自然の中で、珍しい草や花をみながら歩けば気分はさわやかです。
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集合写真を撮りました。
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by kigaaris | 2017-09-23 00:56 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

熊野古道・中辺路 箸折峠~近露王子へ

 9月21日(木)、前日の雨が嘘のようにからりと晴れた1日となりました。
 午前9時15分。KIGAのメンバー11名が車に乗り合わせて中辺路の道の駅へ着きました。今日はここから箸折峠へ上ります。
 道の駅の「牛馬童子像」のレプリカは、最近建てられたものです。
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 国道を渡り、向かい側の山の中に入ります。左に行けば大阪本王子へ、右に行けば箸折峠へ向かいます。急な登り坂を上ること約800m。
 途中の平坦な民家の跡らしきスペースは今は杉でおおわれています。
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 道路右手の小高い丘に宝篋印塔と牛馬童子像が立っています。牛馬童子像は明治の時代に建てられたものです。以外に小さな像ですね。
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 牛馬童子像の後方に建つ宝篋印塔。古い時代にはこの宝篋印塔が熊野古道の名所の一つでした。手前の木の根っこに2体の仏像を浮き彫りした石が置かれています。
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 宝篋印塔に何か刻まれています。文字でしょうか?人の顔のようにも見えますが・・・。
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 牛馬童子像の隣に並ぶのは役行者です。
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 牛馬童子像は悲劇の花山法皇をイメージしたと伝わっています。花山法皇は若くして天皇に即位しましたが、権力の野望の渦に巻き込まれ皇位を失うこととなりました。
 失意の法皇が熊野詣でに来られ、ここで昼食をとられました。箸がないので木の枝(萱)を折って箸の代わりにしょうとした時、その箸から赤い汁が出たので「血か露か」と聞かれたのが「近露」の地名の由来となり、箸折峠の名となったそうです。 

 狭い棚田が並ぶ道を降りると日高川の美しい景観が広がっています。
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 旧国道を少し歩き古道へ入ります。曼殊沙華が満開でした。もう秋ですね。
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  日高川に架かる橋から見る山間の景色は静けさそのものです。右手のほうに名湯「ひすいの湯」があります。
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 近露王子の入り口に萩の花が咲いていました。
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「近露王子跡」と刻まれた石碑は昭和の始め頃、大本教の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)氏の建立と筆によるものですが、当時、大本教の弾圧があり、この石碑が取り壊されることとなりました。その時、地元の横矢氏が自分の名前と書き替えて難をのがれたと伝わっています。
 境内には大きな楠の古木が並んでいましたが、明治時代、神仏分離令が発令され、南方熊楠の猛反対にもかかわらず、これらの古木は伐採され、王子は近野神社へ合祀されることとなりました。
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by kigaaris | 2017-09-21 21:41 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

熊野古道・中辺路/近露~小広へ

熊野古道歩こう会 9月のご案内

中辺路・箸折峠/牛馬童子像~近露~小広王子まで

 季節は秋にむかって動きはじめました。
 9月は中辺路の道の駅から牛馬童子像のある箸折峠から近露の里をとおり、野長瀬一族の墓、比曽原王子を通り、継桜王子を経て小広王子まで歩きます。
秋の景色を楽しみながら歩きましょう。

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:日時 9月21日(木) AM 6:50
:集合JR和歌山駅東口  (レンタカーを利用します。お早い目にお申込下さい)
:コース JR和歌山駅⇒(車で移動)⇒中辺路・道の駅⇒牛馬童子像⇒近露王子⇒野長瀬一族の墓⇒比曽原王子⇒継桜王子、野中の一方杉⇒中川王子⇒小広王子(約12km。標高差400mほど) 

【参加費】 500円 (郵送費、資料代など。保険は含まれていません。各自任意にご加入下さい)
交通費は8人乗りレンタカーで一人4、500円程度の予定です。

:持ち物 お弁当、飲料、タオル、雨具、杖、保険証、着替えのシャツなど。
※参加者が多い場合は貸切バスを利用します。バス代金は参加者で均等負担となります。少人数で遠距離の場合はレンタカー等を利用したいと思います。できるだけお早いめにお申込下さい。(各月の申込は前月のウオークのあと~1週間前までにお願いします。)

※保険加入は申込が30名以上で遠距離の場合のみとさせていただきます。
*前日の夜9時現在で警報が出た場合は延期とさせていただきます。

:申込は氏名、住所、連絡先、年齢を書いて下記へ葉書・Fax・E-mail 等でお申込ください。
【連絡・申込先】〒640-0302 和歌山市永山83-5 東 道
 ℡・Fax 073-478-2711 e-mail kiga@silk.plala.or.jp

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by kigaaris | 2017-09-07 20:53 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

紀伊国のあけぼの 紀伊風土記の丘~鳴神社~竈山神社へ

古代人をさがすー1 紀伊風土記の丘~鳴神社へ

 和歌山に人が住み始めた年代は?どんな人がいたのだろうか?などなど、古代人への疑問はつきません。そこで8月の現地講座は和歌山市内を探して歩くことにしました。 
 8月25日(金)、午前10時、KIGAのメンバー6名が紀伊風土記の丘に集合し、学芸員さんのお話をお聞きしました。
 資料館には県内で発掘された遺跡古墳が展示されています。縄文時代、弥生時代、古墳時代そしてその後に続く時代の展示物から、人の生活様式、祭礼用具(銅鐸など)の変化がわかります。 

 これは今から1500年ほど前の復元竪穴住居です。和歌山市内の鳴神音浦遺跡から発掘されたものを復元したものです。竪穴住居とは地面をくりぬいた半地下式のもので、広さは約14畳ほど。4~5人が住んだようです。
 竈や食べ物の貯蔵庫があり、現代人でも住めそうな気がします。
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 前山46号墳です。説明版によれば、6世紀後半に築造されたもので、前山A地区最大の円墳です。直径27メートル、高さ8メートル。墳丘内に長さ8,5メートルの横穴式石室があります。墳丘上から新羅系陶器時の高杯が4個出土していて、この古墳の被葬者は朝鮮半島と繋がりがあった人物だということがわかるとのことです。 
 私たちも中に入らせていただきました。今日も暑い日でしたが、中はひんやりしてとても涼しかったです。
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 道沿いに万葉の花が咲いていました。これはヘクソカズラですね。ヒオウギも咲いています。
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 涼しい園内でお弁当をすませて、午後は鳴神社へ向かいました。歩いても行ける距離ですが、暑いので今日は車で移動です。
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 鳴神社の前に「鳴武神社」の祠があります。この社は和歌山市内でも古い宮で、5世紀ごろの創建です。祭神は「タケミカズチノミコト」で、別名「壺の御前」と呼ばれています。
 伝承によれば、この地面の下から酒樽が発見され、中央アジアのクシャン(亀茲王国)の王女が酒造りを日本に伝えたそうです。
 かつて大きな社がありましたが、天正年間の兵火により社は喪失、紀州徳川家により社殿のあと地に「鳴武神・庚寅」と書かれた碑が建っています。
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 鳴神社は溝口上下神として、2つの祠があります。縄文時代、紀の川から水をひく、分水に成功した豪族で、近くから音浦遺跡が発掘されています。鳴とは古代朝鮮語で水がヒタヒタなるの意味だそうです。
 祭神はアメノフトダマノミコトです。天照大神の天岩戸神話に登場する神さまで、神籬(ひもろぎ)を持って立っています。 この近くに忌部の地名が残り、倭国の初期の時代、祭礼を司った一族であったようです。 
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 鳴神社から西に移動し、竈山神社にやってきました。門の近くの川に「雄詰橋(おたけびはし)と書かれています。神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコツセノミコト)が、矢傷を負ってここまで来ましたが、毒矢であったようで、その傷がもとでこの地で亡くなりました。身分の卑しい者によって死ぬのは悔しいと、雄叫びをあげたことが、この橋の名前の由来です。
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 竈山神社で宮司さんのお話しを聞くことができました。 
 倭国の初代天皇の神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)の御陵が後方にあり、その上にお社があります。これは拝殿です。
 明治の始めに官幣大社となりましたが、それまでは小さなお社があっただけだそうです。
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 拝殿から社へ続く階段が見えます。
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 拝殿後方にも立派な建物があります。
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彦五瀬命の御陵(みささぎ)です。
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by kigaaris | 2017-08-27 02:11 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

熊野古道・中辺路 滝尻~高原熊野神社~大阪本王子へー3

  上多和の辺りで集合写真を撮りました。14名全員が映っています。不思議ですね。
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  古道はどこまでも、果てしなく続いています。
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 昔、悪志郎と呼ばれる力持ちの大男がすんでいました。その屋敷跡の表示があります。
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 上多和茶屋跡の説明版があります。この辺りには旧暦の11月23日に月が3枚になって登るという三体月伝説が伝わっています。熊野本宮の大斎原のイチイの木に、三枚の月(鏡?)が降臨したのを見た狩人が小さな祠を建てて祀ったのが、本宮の始まりという話もあります。
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上多和をすぎるとようやく下り坂です。 
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 崩れ石とよばれる石ころの多い道を、すべらないように気をつけながら歩きます。大阪本まであと2km、頑張りましょう。
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 橋が架かっています。ようやく下界へ下りてきました。外気が急に暑く感じはじめました。
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 大阪本王子です。傘塔婆は鎌倉時代のものとの記載があります。大阪本王子から近露の道の駅へ向かいました。予定どおり3時30分着。皆さん、暑い中をよく頑張りました。
 このあと、龍神の「がまの湯温泉」に入り、帰路につきました。今日も1日、無事に歩けたことを熊野の神様に感謝しつつ。
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by kigaaris | 2017-07-22 23:24 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)