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紀伊国のあけぼの 紀伊風土記の丘~鳴神社~竈山神社へ

古代人をさがすー1 紀伊風土記の丘~鳴神社へ

 和歌山に人が住み始めた年代は?どんな人がいたのだろうか?などなど、古代人への疑問はつきません。そこで8月の現地講座は和歌山市内を探して歩くことにしました。 
 8月25日(金)、午前10時、KIGAのメンバー6名が紀伊風土記の丘に集合し、学芸員さんのお話をお聞きしました。
 資料館には県内で発掘された遺跡古墳が展示されています。縄文時代、弥生時代、古墳時代そしてその後に続く時代の展示物から、人の生活様式、祭礼用具(銅鐸など)の変化がわかります。 

 これは今から1500年ほど前の復元竪穴住居です。和歌山市内の鳴神音浦遺跡から発掘されたものを復元したものです。竪穴住居とは地面をくりぬいた半地下式のもので、広さは約14畳ほど。4~5人が住んだようです。
 竈や食べ物の貯蔵庫があり、現代人でも住めそうな気がします。
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 前山46号墳です。説明版によれば、6世紀後半に築造されたもので、前山A地区最大の円墳です。直径27メートル、高さ8メートル。墳丘内に長さ8,5メートルの横穴式石室があります。墳丘上から新羅系陶器時の高杯が4個出土していて、この古墳の被葬者は朝鮮半島と繋がりがあった人物だということがわかるとのことです。 
 私たちも中に入らせていただきました。今日も暑い日でしたが、中はひんやりしてとても涼しかったです。
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 道沿いに万葉の花が咲いていました。これはヘクソカズラですね。ヒオウギも咲いています。
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 涼しい園内でお弁当をすませて、午後は鳴神社へ向かいました。歩いても行ける距離ですが、暑いので今日は車で移動です。
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 鳴神社の前に「鳴武神社」の祠があります。この社は和歌山市内でも古い宮で、5世紀ごろの創建です。祭神は「タケミカズチノミコト」で、別名「壺の御前」と呼ばれています。
 伝承によれば、この地面の下から酒樽が発見され、中央アジアのクシャン(亀茲王国)の王女が酒造りを日本に伝えたそうです。
 かつて大きな社がありましたが、天正年間の兵火により社は喪失、紀州徳川家により社殿のあと地に「鳴武神・庚寅」と書かれた碑が建っています。
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 鳴神社は溝口上下神として、2つの祠があります。縄文時代、紀の川から水をひく、分水に成功した豪族で、近くから音浦遺跡が発掘されています。鳴とは古代朝鮮語で水がヒタヒタなるの意味だそうです。
 祭神はアメノフトダマノミコトです。天照大神の天岩戸神話に登場する神さまで、神籬(ひもろぎ)を持って立っています。 この近くに忌部の地名が残り、倭国の初期の時代、祭礼を司った一族であったようです。 
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 鳴神社から西に移動し、竈山神社にやってきました。門の近くの川に「雄詰橋(おたけびはし)と書かれています。神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコツセノミコト)が、矢傷を負ってここまで来ましたが、毒矢であったようで、その傷がもとでこの地で亡くなりました。身分の卑しい者によって死ぬのは悔しいと、雄叫びをあげたことが、この橋の名前の由来です。
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 竈山神社で宮司さんのお話しを聞くことができました。 
 倭国の初代天皇の神武天皇の兄君の彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)の御陵が後方にあり、その上にお社があります。これは拝殿です。
 明治の始めに官幣大社となりましたが、それまでは小さなお社があっただけだそうです。
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 拝殿から社へ続く階段が見えます。
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 拝殿後方にも立派な建物があります。
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彦五瀬命の御陵(みささぎ)です。
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by kigaaris | 2017-08-27 02:11 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

和歌山市内の寺町と和歌山城

 7月7日(金)、秋の万葉ウオークの下見で、JR和歌山駅から和歌山城と寺町を歩きました。元信愛高校の馬場吉久先生、紀伊万葉ネットワークの木綿良介さん、そしてKIGAの会員計7名が参加しました。(和歌山城では堀畑さんに案内していただきました。)
 写真は刺田比古神社岡の宮で。若い宮司さんがおられてカメラに入っていただきました。
 大雨予報でしたが、午後は晴れました。最近、晴れが多いです。
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 JR和歌山駅から太田城水攻址を見て、国体道路を横切り、和歌山城へむかって歩きます。大立寺です。大立寺の創建は文禄年間(安土桃山時代)で、大門は室町時代末の和歌山の豪族太田氏の居城があった太田城の大門を移築したそうです。和歌山市指定文化財になっています。
 徳川吉宗の母ぎみが熊野参詣でここまで来たとき、倒れていたのをこの寺の住職さんに助けられ、その後、和歌山城へお勤めすることになり、光貞公の側室となって吉宗が誕生したと伝わっています。
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 右手に和歌山城が見える交差点まできました。左手の岡公園になにやら歴史を感じさせる建物が建っています。長屋門です。実は今日が竣工式なのです!
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 岡口門につきました。城ができた頃はここが城の正門でした。門の上の白い建物は、ここから敵を見張り、射撃するための櫓です。
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 和歌山城です。この建物は3代目です。今は白壁ですが、もとは木の壁だとか。2代目は第二次世界大戦の時、米軍の空襲によって爆撃されましたが、昭和30年代に再建されました。
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 城に上るまで、迷路のように石の城壁が続いています。これは初期の頃の石壁で、比較的なだらかで、小さな石を積み上げた「のづら積」です。
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 文字だか模様だかわからない説明版があります。この城を築いた石工さんたちが、自分たちの納めた石にマークをつけたのだそうです。
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 マークが読み取れます。
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 和歌山城を一回りして、駐車場のある南の門から退出しました。雨がひどくなったので、ちょっと休憩をかねてランチタイムとします。
 ランチのあと、ここで転べば3年しか生きられないという三年坂をとおり、刺田比古 岡の宮神社へむかいました。
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 刺田比古神社の祭神は、道臣命(みちのおみのみこと)と、大伴佐氏比古(おおとものさでひこ)命です。「日本書記」の神武天皇編で、神武が那智の海岸へついた時、丹敷戸畔(にしきとべ)と戦い、毒気をあびて倒れてしまいます。高倉下命(たかくらじのみこと)の夢に天照大神が現れ、フツノミタマという剣を授かり助けに行きます。翌朝目が覚めた神武は中つ国へ向かいますが、山が深くて進むことができないでいる時、八咫烏が現れ中つ国へ導きました。その時の郷の導きの者(国つ神)が大伴氏の祖となったと、日本書記に記載があります。のちに道臣(みののおみ)として神武に仕えることになります。
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 今日は七夕でした。万葉の歌碑がありました。大伴家持の歌です。家持の祖が大伴佐氏比古なのです。 
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 岡公園の西南の地に「父母状の碑」の石碑が建っています。豊臣秀吉が朝鮮を攻めた時、連れてこられた儒学者の李真影と李梅渓親子を、初代藩主徳川頼宣が紀伊国に招き、学問の師と仰ぎました。李親子は韓国の貴族であったそうです。 父母状は頼宣が李梅渓に教えを乞いながら作成し、その後全国の寺子屋の教科書をなりました。「父母に孝行し・・・」と、人が生きる上で大事な法を説いた内容です。
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by kigaaris | 2017-07-09 23:11 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

大新公園の桜

 4月13日、和歌山市の大新公園の桜が満開です。毎月、第2木曜日と第4木曜日はKIGAの英語ガイドの勉強会があり、公演のそばの駐車場(なんと1日200円!)に車を置いてここを通ります。
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 いつもと違った景色です。歩くのが楽しくなってきます。
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by kigaaris | 2017-04-16 23:59 | 花のある風景 | Comments(0)

和歌山市内の神社と寺を訪ねて 花見をかねてウオーク下見-2

 報恩寺の桜が満開です。
 和歌山城の南、県立博物館の隣に位置する報恩寺は、はじめ要行寺でしたが、寛文5年(1666)紀州藩主徳川頼宜公婦人の瑶林院の菩提を弔うための寺として息子の光貞公が報恩寺と改めました。和歌山市内唯一の武士寺として親しまれてきました。
 瑶林院は加藤清正の長女で、八十姫と呼ばれていたそうです。
 寺から200mほど歩くと紀州藩主の家族のお墓が並んでいます。献花がなくて残念な気持になりました。
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by kigaaris | 2017-04-06 22:26 | 海南・万葉の会 | Comments(0)

和歌山市の寺と神社を訪ねて 花見をかねて下見ウオークー1

 和歌山市内でも桜が咲きはじめました。
 和歌山城の南にある「夜雨荘(やうそう)」の桜です。今年、秋に予定の「熊野古道・万葉ウオークと公演”有間皇子”」にむけて下見ウオークに行ってきました。
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 戦国時代終盤、豊臣秀吉の三大水攻めの一つといわれる太田城の水攻め址です。来迎寺境内の小山塚には水攻めに敗れ処刑された太田党一族の墓があります。来迎寺のご住職によれば、近年になって初めて追悼されることができるようになったそうです。
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 来迎寺から西へ、和歌山城へ向かいます。父母状の碑がありました。徳川吉宗の時代、熊野古道沿いで、親を殺しても自らの罪を認めない男に、人としてあるべき道を説いたこの書は、韓国の学者、李真栄(りしんえい)と李梅渓(りばいけい)が作ったものです。父母状は江戸時代の寺子屋の教科書となりました。
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by kigaaris | 2017-04-06 22:00 | 海南・万葉の会 | Comments(0)