6月2日(木)、KIGA歩こう会では平群
(へぐり)の長屋王の墓と吉備内親王の墓をたずねて歩きました。先月は大雨で中止でしたが、今日はとても良いお天気に恵まれ、暑くもなく風が心地よいウオーク日和となりました。
JR王寺集合、近鉄に乗り換えて参加者21名が平群駅に集まりました。数人が遅刻でしたがAM9時30分にスタート、高架をくぐり、民家をぬけて長屋王の墓に向かいました。
一昨年、「和歌の浦のあけぼの~聖武天皇と宮子姫~」の公演の中に長屋王が登場しました。長屋王とはどのような人物であったのか・・・以下は表示板から抜粋です。
長屋王は奈良時代初期、壬申の乱に功績にあった高市皇子の長男で、夫人の吉備内親王
(きびないしんおう)とともに天武天皇の孫にあたります。皇親政治家で、神亀元年(724)に最高職の左大臣に就任し、聖武天皇を盛り立てて政治をすすめていました。
神亀6年(729)2月10日、謀反の疑いで館を囲まれ、夫妻と4人の子どもが自殺に追い込まれます。(のちに無実であったことが判明します。)
8月に天平と年号が変わり、藤原不比等の娘、光明子が皇后となりました。
お墓は綺麗に整備されています。
『続日本記』によれば、長屋王夫妻の墓は生駒山に葬られたとの記載がありますが、平群の梨本の二つの墓が夫妻の墓という地元の伝承があり、明治の終わりごろから宮内庁がここを長屋王夫妻の墓として整備しているそうです。
長屋王の墓から左手(西)に少し歩くと吉備内親王の墓に通じる道がありました。
長屋王の墓は直径15m、吉備内親王の墓は直径20mの大きさです。 どちらも同じ円形のお墓です。