東 道のきのくに花街道

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大雲取超えにいどんだシニアたち 円座石から小口へ

 円座石(わろうだいし)は10年ほど前に来た時とはすっかり様子が違っています。誰かが苔をぬいてしまったのだそうです。世界遺産の草木を勝手に抜いてはいけません。
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 標識があります。「石に刻まれた梵字は、右が阿弥陀仏(本宮)、中央が薬師仏(新宮)、左が観音仏(那智)を表し、熊野の本地仏の表現であるが製作の年月はわからない。「円座(わろうざ)」とは、わらやいぐさ等を丸く編んだ敷物のことだが、石の上面の模様がそれに似ていることから、この名が付けられたといわれている。熊野三山の大神の「御茶屋所」(『続紀伊風土記』)とされたためか、三山の神々がここに座って談笑したとの伝えものこる。」だそうです。
 現在17時3分。そろそろ日が暮れそうです。

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 可愛い花です。まわりの葉にごまかされそうですが、すみれです。

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 円座石から小口まで800m、下り坂ですか、これまでの急な石の坂道に比べれば歩きやすい道でした。ようやく小口に到着です。

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 全員無事に小口に着きました。赤木川にかかる橋からの景色がひときわ美しいと感じます。17時18分。予定より1時間遅れての到着です。
 皆さん、全員が無事に歩けたことを喜びあいました。熊野の神々と那智であったお坊さん、そして誰よりも今回案内して下さった新宮の語り部の玉置さんに感謝です。途中、体調の悪い人がいて、リュックと中身を持っていただいた柏木さん、楠川さん、錦戸さん、皆さん、有難うございました。
 身体はくたくたですが、ひとつ大きな目的を果たしたような充実感にひたりながら帰路につきました。バスの中で誰かが「また来たい!」と言いました。同感です。
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by kigaaris | 2015-05-28 22:53 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

大雲取超えにいどんだシニアたち 越前峠~円座(わろうだ)石へ

 越前峠から楠の久保旅籠跡までの約2,4kmか急な石段が続いています。歩くのが精いっぱいで写真をとる余裕などありません。・・・でも実は珍しい草花の宝庫なのです。花の好きな市川さんにつられて。こんな植物見たことありません。
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 群生しています。

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これも珍しい植物??


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 可憐な花ですね。バイカオウレンです。

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 草花だけではありません。お地蔵さまも立っています。石の急な下り坂が続く中で、旅籠跡周辺は土の道があり少し楽です。中根の旅籠跡に着くころには低血糖症に襲われ、少し休憩してから歩くことにしました。
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 チョコレートで糖分を補給してまた歩きはじめます。このあと、大きな一枚岩の上を通るので滑りやすく危険だからと、玉置さんが靴にしばる縄を全員に用意してくれました。今日一番の危険個所だそうです。用心しながらそろそろと歩きます。
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by kigaaris | 2015-05-28 22:02 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

大雲取超えにいどんだシニアたち 石倉峠~越前峠へ

 大雲取超えは石畳の道が続いています。大きな石に苔むす姿が歴史深さを感させてくれます。
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 急な下り坂のあとは急な登り坂です。この頃には皆さん、体力を使い果たしていて無口です。自分がどこまで歩けるのかわからないけれど、一歩一歩と前にすすむのでかなり時間がかかっています。前の人の姿が見えなくなったので、ふりむけば後続の人がいて少し安心しました。
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 500mごとに立つ道標です。現在14時37分。ここまで約10kmとして、朝から歩きづめで6時間半ほどだから、時速1.54kmとなりますか? 大雲取超えは後半が大変だと痛感せざるを得ないですね。
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 峠の頂上に着きました。歌碑と説明板が立っていました。説明板によれば「越前峠は標高870m、中辺路の中でも最高層である。越前峠と小口集落の間は延々と急坂で結ばれる。小口は標高65mであり、800mの高低差を一気に下る(上る)ことになる。特に楠の久保集落跡までは急坂に石畳が点在する「胴切坂」という、大雲取超え、小雲取超えの最大の難所である。・・・」と記載がありました。これからの下りが難所なのです。

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でも皆さん、頂上についたのでほっとひと安心して記念写真などを撮っています。
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「輿の中海の如しと嘆きおり 石を踏む了(よぼろ)のことは 傳えず」 藤原定家の『御幸記』の中に、この大雲取超えを通った時、ひどい雨で輿の中まで水がはいり海のようだとの記載があり、お供して歩いた了たちのことを考えないで、と皮肉ったような句です。 
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 ひとまず記念撮影しました。

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by kigaaris | 2015-05-28 21:25 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

大雲取超えに挑んだシニアたちー地蔵茶屋に着きました。

 さる4月3日、KIGA主催の大雲取超えを60代から70代の14名が、語り部の玉置さんの案内で歩きました。後半を掲載します。
 歩きはじめてからずーっと雨、雨、雨。まるで地元伝承の丹敷戸畔(にしきとべ)の涙ではないかと感じたのは私だけでしょうか? 
 那智から田辺へ、そして紀北へと抜ける官道のとおるこの地域には、縄文文化をもった丹敷戸畔(にしきとべ)という一族が暮らしていました。2000年ほどまえ(1600年ごろとも)の伝承が残っています。
 『日本書記』には、神武天皇一行がやってきて刃向ったので殺されたと記載があります。農耕、織物、そして鉄や青銅など鋳造技術をもった渡来系の一族がやってきたのです。記には神武天皇たちは大熊の毒気にあたり気をうしなった、と書かれています。 この那智山周辺は農耕に適した土地が少ないので、新しい文化を受け入れる地形条件ではなかったことや、文化、言葉の違いもあって敵対したのではないでしょうか?ところで神武天皇は実在しない、というのが近年の研究者の見解です。ではいったい神武天皇って誰?
 民俗学の権威として知られる折口信夫氏の『古代研究』には、新しい渡来系の人たちに負けた先住民たちはクモやカモ、クマ、クスと呼ばれたとの記載があります。大雲、小雲の地名の由来のようです。海南市にもクモ池で名草戸畔(なぐさとべ)が殺されたと伝わっています。

  約1.3キロの林道はゆるやかな下り坂です、左手に川を見ながら歩き、ようやく昼食の地蔵茶屋跡の小屋に着きました。小口から上ってきた外国人数人入れ替わりに出ていきました。
 身体の中まで雨に濡れてしまったので、時間がたつと寒くなってきます。20分で昼食をおえ、再び出発です。 地元の見回りの人がきて、「この雨の中で歩くのは無理だから引き返したほうが良いですよ」と言って下さったのですが、引きかえすにしても約11キロ、前に進んだほうが早いのではないかと思いました。でもそれは甘い考えであることがその後、わかったのです。

 地蔵茶屋跡のそばにお地蔵さまを祀る小さなお堂が建っていました。
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 茶屋跡からいきなり登り坂です。林道が交差する最後の地点なので、いまならタクシーを呼ぶことができます、と語り部さん。
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 古道の脇の歌碑が立っています。「紀伊のくに 大雲取の峰こえて 一足ごとに わが汗はおつ  斉藤茂吉作 畑尻熊夫書」と刻まれています。
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 登り坂が続いています。途中、石仏がありました。 
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 石倉峠の標識です。ここから急な下り坂となっています。
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by kigaaris | 2015-05-27 23:51 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)

亀の川念仏踊りに明治安田QOLから助成

 明治安田クオリティオブライフ文化財団(東京都、大島雄次理事長)は、地域の伝統文化の継承や後継者の育成を支援するために、日本全国にむけて「地域伝統文化保存維持費用助成制度」を推進しています。今年、和歌山県から「亀の川念仏踊り保存会」が選ばれました。 21日、明治安田生命保険相互会社和歌山支社で贈呈式が行われ、保存会を代表して東 道(事務局長)が目録をいただきました。   
 
 亀の川念仏踊りは南北朝時代の楠正成の嫡男の正行(まさつら)が、大阪四条畷での大戦に敗れ、自刃のまぎわ、家臣の佐々木氏に一族を連れて逃げ延びるようにと命じました。一族は南野上の次ケ谷に逃れましたが、合戦の時の様子を末代まで伝えようと歌と踊りにし、先祖供養とともに平和な世の中が続くようにと始まったと伝わっています。長い間、次ケ谷に嫁いだ女性たちの間で踊り伝えられてきましたが、近年は後継者が少なくなり忘れられようとしていたのを、公民館と小学校の協力により復活、子ども達が毎年夏休みの早朝に、公民館では女性たちが稽古を続け、地域の催し等にも参加しています。
 同財団では平成3年から、地域の民族芸能・技術の継承に対して助成をおこなっていて、今年は全国から164件の応募があり、44件が選ばれました。和歌山県では亀の川を含めてこれまで17件が助成されました。 
 牧野支社長から「亀の川念仏踊りは歴史の深い文化財だと認識しています。これからも更に継承し、和歌山にとって大切な位置づけでいていただきたい」とのお言葉をいただきました。大変名誉なことです。これからも心を引き締めて地域の人たちと協力して、精進してまいります。助成金は三味線と衣装(浴衣)の購入に活用させていただきます。有難うございました。
 写真は「わかやま新報」に掲載していただいた記事と目録です。
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 昨年、夏休みの「早寝・早起き朝ごはん」のときに小学校グラウンドで稽古した写真です。
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by kigaaris | 2015-05-27 13:13 | 海南市無形民俗文化財 | Comments(0)

我が家の庭にも花が咲きました。

 5月23日(金)、このところ良いお天気が続いています。我が家の庭の花も、よそより少し遅れて花が咲きはじめました。
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 このバラは今年初めて咲いたのです。6年前、大野の母の家から小枝をもってきて、新しい家の庭のあちこちに植えたのが育ちました。いわば母の形見のような花です。足元にある紫の小さな花は洋花ですが、可愛いです。

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今年は咲かないのかなと思っていたツツジも咲きました。

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 花が咲き始めたので、普段は雑草がぼうぼうと生えている道路脇を綺麗にしました。数日前の日曜日、一人でもくもくと草抜きをしたので、このとおり。でもそのあと数日、体調を崩して寝込みました。草抜きは一度にやらずに毎日少しずつやるべきですね。
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 花も良いけれど実のなる木はもっと好きです。今年もいっぱいの実をつけたグミです。

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by kigaaris | 2015-05-24 11:40 | 花のある風景 | Comments(0)

和歌祭を見にいきましたー3

 江戸時代、紀州徳川家が中心になって始まったこの祭の、渡御行列に参加する団体は「株」と呼ばれたそうです。当時から武士だけではなく庶民も参加できる祭だったようです。
 この日の渡御行列への参加はざっと45団体、観客は2万人くらいですか?
 こんな怖い顔で子どもたちを泣かせています。泣いた子は健康に育つと言い伝えられてきました。
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 それにしてもすごい化粧ですね。
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 女の子たちも揃いの着物で行列に参加しています。
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 行列の後半、竜の頭が見えてきました。まるで空にむかって吠えているようです。唐船(とうせん)は凱旋船を模したもので龍の頭の船尾台となっています。
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 龍がはばたいています。よく見ると歌っているのは・・もしかして佐々木塾長??
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 そうです。昨年「和歌の浦にあけぼの~聖武天皇と宮子姫~」で行基役をした佐々木さんです。「佐々木さん、唐船に乗った気持ちはいかがですか?」 

 高齢者も若者も参加できる、勇壮な「和歌祭」をなんとか未来へ継承してほしいと願っています。 
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by kigaaris | 2015-05-22 17:19 | 日本の祭 | Comments(0)

和歌祭を見にいきましたー2

 東照宮への石段脇の囲いの中はものすごい人だかりです。もっと早く来るべきだったと後悔してもしかたがありません。なんとか脇道で待機していると、しばらくして何か光るものが見えてきました。木立の向こうに神輿が見えます。神輿は急な石段を左右に揺れながら降りてきました。
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ものすごい人だかりです。

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祭はいよいよクライマックスです。参加する人も見る人も熱気につつまれています。
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神輿のあとを太鼓が通ります。

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by kigaaris | 2015-05-22 16:28 | 日本の祭 | Comments(0)

和歌祭を見に行きました

 5月17日(日、)日本3大まつりの一つ、紀州で一番と言われている「和歌祭」を見にいきました。和歌祭は江戸時代の元和8年(1622)から始まった紀州東照宮の大祭の渡御のことで、別称「紀州の国祭」「天下祭り」「権現祭」とも呼ばれています。一時途絶えていましたが近年復活し、毎年5月に開催されています。 普段はこんなに静かな東照宮です。
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 神事のあと午前11時30分から神輿おろしが始まります。そのあとの渡御に参加する人たちが、東照宮前の広場で衣装に着替えてまっています。神事とば別の渡御行列に参加する神輿も出番をまっています。
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 神輿の中央に虎の絵が。これ、もしかして有名な人の絵ですか?

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 渡御行列に参加の若者たち。おもいおもいの衣装と化粧で準備万端です。
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by kigaaris | 2015-05-22 16:06 | 日本の祭 | Comments(0)

中将姫のかくれ住んだ恋野をあるく

KIGA歩こう会 6月のご案内
橋本市 万葉のさと隅田から
中将姫がかくれ住んだ恋野へ 糸の細道を歩こう

  KIGA熊野古道歩こう会は5年をかけて最終予定の大雲、小雲取超えを歩きました。お互いの協力のもとに皆様とともに最後まで歩けたことを感謝しています。今後は「KIGA歴史街道歩こう会」として6月からスタートします。高齢化社会の中で私たち自身の健康維持のためにも、これからも皆さまとともに仲良く楽しく歩けることを願っています。

 雲取コースの掲載の途中ですが、6月の歩こう会のご案内です。
:日時 6月4日(木) AM 9:40
:集合 
JR和歌山線 隅田駅 ( JR和歌山駅 8:19発 奈良行に乗車、9:34分 隅田駅着予定)

:コース 隅田駅9:50→真土山飛越え石(和歌山と奈良の県境)→隅田八幡宮→中将姫のかくれ里・恋野の観音堂・蓮池→あじさい園→中将倉→去年(こぞ)川・糸のかけ橋→文殊菩薩堂→隅田駅15:00予定 (約9キロ・標高差約100m)
:参加費 500円(郵送費、資料代、保険代など)
*申 込  葉書・fax・E-mail 等で、締切は5月28日まで
【申込み・連絡先]
 〒640-0302 和歌山市永山83-5 ℡・fax 073-478-2711 
 E-mail kiga@silk.plala.or.jp (東まで) 

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 5月14日、市川さんと下見に行きました。その時の写真です。 隅田駅から通称「水道橋」をわたります。ここは普段は進入禁止です。紀ノ川は奈良へ入ると吉野川と名称を変えます。源流をさかのぼれば熊野川へ。川って続いているのですね。 中央左奥に竜門山が見えます。 
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 中将姫は聖武天皇の時代に大臣 藤原豊成の娘に生まれましたが、継母の照世の前は姫の存在をうとましく思い、家臣に殺すように命じました。姫が無心に祈り、写経する姿を見た家臣の喜藤太はどうしても姫を殺すことができずに、妻とともに姫を守る決意をします。
 有田の得生寺にも中将姫の物語が伝わり、雲雀山に姫の御廟跡が残っています。ここ恋野に、そして奈良の当麻寺の裏山にも雲雀山の名が残っています。雲雀の習性は自分の巣に直接おりることをしないで、離れた所におりてから巣に戻るという。まわりに用心しながら、かくれ住んだ様子がうかがわれて興味深いお話です。下の写真は蓮池、姿見池ともいいます。ここで毎朝、奈良の方をみて祈ったそうです。奈良の当麻寺に姫が織ったと伝わる「蓮糸の曼荼羅図」が保存されています。
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 恋野周辺は農家が多く、自然の景観を満喫しながら歩きました。この森にも珍しい樹木がいっぱいです。この木は?小さな木の実をたくさんつけていました。5月に歩いた人にはその時に資料をお配りしたので、今月の案内状の郵送はありません。忘れている人は早い目にお申込みください。
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by kigaaris | 2015-05-17 23:26 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)