東 道のきのくに花街道

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赤毛のアン 2015年2月公演

 明日、2月1日(日)海南市民会館で「赤毛のアン」を公演します。日方公民館、人権尊重推進委員会などの主催で、入場無料です。以下は1月31日のリハーサル風景から。 
 孤児院からもらわれる予定で駅についたアン。駅員役の松浦くんとマシュウ クスパート 役の有本さん。ほしかったのは男の子だったのですが。
 
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 家に着くまでの間、馬車の中でアンのおしゃべりが続きます。初めて見る景色に興奮するアンでしたが・・。
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 どうして女の子なの?と聞くマシュウの妹のマリラ クスパート役の西さん。
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 女の子は要らないと知って、泣き始めるアン。仲岡さんの迫真の演技です。
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by kigaaris | 2015-01-31 23:20 | 劇団KCM | Comments(0)

「赤毛のアン」と「くるみ割り人形」-2

 「赤毛のアン」のチラシです。
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by kigaaris | 2015-01-30 13:08 | 劇団KCM | Comments(0)

「赤毛のアン」と「くるみ割り人形」

 各地に大雪が積もり和歌山でも寒い毎日です。このところ、どこへ行ってもイスラム国の過激派テロに拘束された後藤さんのニュースでもちきりです。たとえ宗教の違いはあっても命だけは粗末にしないでほしいものです。。
 
 2月~3月のKCMと南野上公民館の公演予定です。
 2月1日(日)「赤毛のアン」海南市民会館で、13:30~ 人権推進委員会、日方公民館などの主催で。
 2月8日(日)「赤毛のアン」中野上小学校で、中野上人権推進委員会などの主催で。脚本、演出はRi-ya さん。
 2月15日(日)朗読劇「くるみ割り人形」南野上小学校体育館で、14:20~
 3月1日(日)下津の海南市民交流センター内かがやきホールで。劇団KCMメンバーの踊りと公民館のバレエイクササイズ教室から「くるみ割り人形よりアラビアの踊り」を踊ります。振付は東 道とRi-yaさん。公民館の受講生の平均年齢60ン才、どんな踊りを披露できるのでしょうか?現在、衣装制作中です。Do it myselfの精神で頑張っています。
 
 「赤毛のアン」の稽古風景です。ゆかさんと有本さんの名場面ですね。この辺りは昨年の公演と同じ場面ですが、出演者が変わったので脚本も少し変わっています。 
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 右から西さん、池田さん、裕子さん、そして真希さんも出ています。どんな役でしょうか?
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 大人になったアンを取り巻く人たち。華ちゃん、久保さん、松浦くんが座っています。
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 全員で歌います。出演者は総勢13名、海南市民会館ホールの舞台がせまく感じられるほどです。本番まであと少し、皆さん風邪などひかずに頑張りましょう。
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by kigaaris | 2015-01-30 12:57 | 劇団KCM | Comments(0)

九品寺の「にょらいさん」

 1月14日、今日は南野上小学校のわくわくルーム(放課後の学童保育)で子どもも大人も口を揃えて言うには「今日にょらいさんへ行く?」と。何のことやらわからずに「にょらいさんて何?」と聞くと「行ってみたらわかるわ」の返事。なので九品寺へいくことに。冬場の夕方6時すぎといえばもうとっぷりが暮れています。周囲を山に囲まれ漆黒の闇の中に1か所、明かりが集まっている所がありました。 それにしてもこのお面は???
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 ここは浄土宗 如来山蓮台院九品寺(通称にょらいさん)です。正月の行事として寺とともに地域のひとが伝えてきたのが「にょらいさん」だそうです。 
 社歴によればこの寺は 「宝亀元年(770)為光上人の開基と伝えられている。ご本尊一光三尊仏は、長野市善光寺の開基、本田善光の子善祐の守本尊として、善光寺本尊と一体の木で刻まれたという。 善祐が熊野参詣の途中当山に参拝し奉持してきた尊像を奉納安置されたという。従ってはじめは、紀州の善光寺別院として天台宗に属していた。 本坊のほかに光明院、高月院、王蔵院、清潮殿、』中ノ坊、西ノ坊、東門、西門、北門等、7堂伽藍が立ち並び、立派なお寺であった。元文2年(1731)火災にあい殆どを焼失し、現在の寺堂だけが取り出された。 安永4年(1775)善栄和尚の勧進により現在の本堂が建立された。 本尊は家財の際行方不明であったが、翌年正月、貴志川の淵が大光明が放つのを里人が認め、探したところ川底から本尊が発見された。里人たちは大喜びで正月14日に寺でお迎えしたという。その川底は今は「和尚淵」と名づけられている。今も正月14日には、にぎやかな会式が催されている。 ご本尊に面をお供えして祈願すると、頭部、顔面の病に効き目があるといわれ、近頃は頭痛がよくなるとか、綺麗な顔の子が生まれるとか言われ、面をもってお参りする人が多い。またお供えした面を埋めた「面塚」が境内にある。」と記載されていました。 本殿の正面に「如来さん」が立っています。
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  真っ暗な畑の中に突然、夜店が十数件たちならぶ光景はかなり異様です。 でも子ども達はこの屋台が目当てのようです。昔はもっとたくさんの屋台がたっていたと聞きました。
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 そうです。お面は近隣の人たちが供えたものでした。お面を供えれば美人になれる?頭痛が治る?私も来年はお面をお供えしようかな。もう遅いかな。
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by kigaaris | 2015-01-19 21:25 | きのくに歴史散歩 | Comments(0)

2015年初詣はここへ

 和歌山市内の新明神社。境内の左手中ほどにある社です。天照皇大神(アマテラスオオミカミ)を祀っています。
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 そのお隣には豊受皇大神(トヨウケノオオミカミ)が、そして境内には稲荷神社、戎神社、天満宮、金毘羅神社、楠珺神社を合祀しています。豊受皇大神は天照皇大神が鎮座される場を求めて全国を歩かれ、最終的に伊勢神宮に鎮座されましたが、和歌山では浜の宮にしばらく滞在されたとの伝説が残ります。全国を歩かれるのはよほどの健脚であったようで、浜の宮には足の神様として祀られています。 
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 境内の説明板(御由緒)によれば古くは吹上の山に鎮座せられ、天正13年(1585)豊臣秀吉が来たり「当国子安利運長久ためならばとて表指の蕪矢(かぶらや)に願書を添えてぞ納めける」とあり・・・・南龍公(徳川頼宣)が城下町の裏鬼門の守護神として奉斎のため、寛永5年(1628)9月に起工し12月にこの地に遷ったと書かれています。
 この辺りは昔は吹上浜と呼ばれ、小高い山岡が南北に走り、西側は波打ちぎわであったそうです。また「吹上枯松の跡」とも呼ばれ社頭に松の枯木があり、その松を吹上袖摺松とも呼ぶのは、往古、社前を行きかう人がその松の枝に袖をふれることから名がつけられたとのことです。
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by kigaaris | 2015-01-19 20:40 | きのくに歴史散歩 | Comments(0)

2015年の初詣はここへ

 2015年の初詣、次に行ったのはここです。なにやら見覚えのある大きな楠です。
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 そうです。藤白神社です。1月8日、市川さんと一緒に行きました。運よく吉田宮司さんに出会ったので、今年も有間皇子まつりの催しを担当させて頂くことをお約束しました。
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 1月11日、市内では「十日戎」でにぎわっています。街は成人式に参加する着物を着た若い女性が目立ちます。前日に小林かおるさんから連絡があり「神明さんへお手伝いに行ってます」とのことで、早速様子をうかがいに行くことに。短い時間でしたが再会を喜びあいました。
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 この神社へお参りするのは十年ほど前、某文化センターの歴史散歩で訪れて以来です。 仕事以外では初めてなので、ゆっくり観察することに。奥のほうに「紀州宮西の戎」書かれた旗がたっています。
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by kigaaris | 2015-01-19 19:57 | きのくに歴史散歩 | Comments(0)

2015年の初詣はここへ

 今年は新年から寒い日が続きます。年々寒さと暑さが増してきている気がするのは私だけでしょうか?近年、気候が温暖化していると報道されていますが、冬の寒さはいっそう厳しいです。 
 正月2日、三男の家族が来たのでお鍋を囲んで新年のお祝いをしました。孫は高校一年生です。家族でお祝いするのは何年ぶりでしょうか。
 夕方、近くの伊太祁曽神社へ初詣に行きました。
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 こんなに大勢の参詣者が並ぶ光景を見たのは初めてです。
 伊太祁曽神社は私たちが想像できないほどの遠い昔の、紀伊国の神話伝説に登場するイタケルノミコトを祀っています。スサノオノミコトが息子のイタケルノミコトと娘のオオヤツヒメノミコトとツマツヒメニミコトに命じて日本国中に木の種をまいて緑の山にしました。始めはこの三兄妹は秋月の地で一つの社に祀られていましたが、のちに宇田の森に移り、聖武天皇の時代イタケルノミコトはこの地に、妹神のうち、オオヤツヒメは和佐の高積神社に、ツマツヒメは吉礼へに分祀されるようになったそうです。  
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 この神社では輪くぐりができます。くぐれた人は幸せになれるとか・・・。くぐれない人はいるのでしょうか?おりしも、女性たちが輪くぐりに挑戦していました。
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 屋台店が並んでいます。
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by kigaaris | 2015-01-15 22:47 | きのくに歴史散歩 | Comments(0)

初代・神武天皇の兄ナガスネヒコの古墳と竈山神社

 2015年の幕開けです。本年もどうぞよろしくお願いします。今年も元気でブログ更新にはげみたいと思います。
年があけて寒波襲来、各地に大雪を降らせています。 南国和歌山ではめったに雪をみることはありませんが、昨年、このブログを立ち上げた頃にも大雪が積もりました。 
 今年も3社参りはしたいと思っていますが、寒いのでまだ家にこもっています。でもお正月らしく、昨年11月30日、和歌山市の3社参りのひとつ、竈山神社を訪ねた時の写真を掲載します。
 
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  2014年の和歌山県デスティネーションキャンペーン事業のひとつとして、竈山神社が紹介され、祭礼に参加する人たち数十人が集まりました。
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  拝殿の中です。許可をいただき撮影しました。古墳によりかかるように階段があって、本殿は古墳に続いています。
 
  竈山神社は神武天皇の兄尊のナガスネヒコノミコトの古墳の前に建てられた神社です。長い間、古墳の主は不明とされてましたが、近年、ナガスネヒコノミコトの墓であることが認められ官幣大社となりました。2000年以上も昔、この周辺は紀ノ川の下流の海岸が広がりたくさんの島が点在していたようです。

 紀元前230年ごろ、神武天皇が各地を平定し難波から奈良へはいろうとした時、反撃する部族に襲われます。戦いが泉南周辺で繰り広げられました。この時、神武の4人兄弟の長男のナガスネクコノミコトが流れ矢に当り負傷します。オノミナトから船でここまで来た時ナガスネヒコが、身分の卑しい者の矢に当って死ぬのが悔しいと雄叫びをあげて亡くなりました。
 この神社のすぐ前に「おたけび橋」が架かっています。

 神武一行はこの近くで名草土畔(なくさとべ)と戦い勝利します。土畔の足は海南市の千草神社に、胴体は杉尾神社に、頭はおこべ神社に祀られています。
 神武はそののち、自分は太陽の子であるのに太陽に向かって戦うのは間違っていると言って方向をかえ、紀伊国の海岸線を通り新宮へ向かいました。新宮の海岸付近まで来た時、海神(わだつみ)に阻まれ、船を海岸へつけることができませんでした。

 この時2人の兄ぎみが海神のいけにえとなって海に身をなげました。海岸近くの熊野古道沿いに「浜王子」として祀られています。
 岸べに着いた神武一行は那智の海岸で丹敷土畔(にしきとべ)と戦い勝利します。『日本書記』の記載ではそのあと大きな熊が現れ、その毒気にあたり神武たちは気を失ってしまったようです。 

 この時、新宮の神倉山(かんのくら)に住むタカクラジノミコトの夢の中に天照皇大神(アマテラスオオミカキ)が現れて剣を授け、神武一行を助けにいったと記載されています。
 フツノミタマという剣を手にした神武は大熊にも勝ち、那智の八咫(やたがらす)の案内で奈良へついたというお話です。

 竈山神社の宮司さんが祭礼の後、丁寧にお話をしてくださいました。
 この社に東道(有限会社ファミリーメイト)が出版した『昔むかし きのくので』の本を寄贈させて頂きました。
 
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 拝殿から右手にまわり、本殿の屋根を撮りました。ここから後方に古墳があります。
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 南面に古墳へ続く石段があります。 昨年、周辺から苦情がきたので宮内庁から人が派遣され、森の木が伐採されてしまいました。浜からの風遠しが良くなった半面、森が無くなってしまい残念です、と宮司さんのお言葉です。本当にこの周辺の景色がかわり私も残念に思います。
by kigaaris | 2015-01-02 17:17 | 日本の神話伝説を訪ねる | Comments(0)