東 道のきのくに花街道

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カテゴリ:KIGA歴史街道歩こう会( 19 )

2017年 三社めぐり≪吉礼の中言神社~竈山神社~日前宮≫

 5時前ごろ。吉礼の中言神社へ。夕刻の神社に人影はなく静かな佇まいです。灯りがともっています。
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 地元の人たちの手できれいに整備されていました。
 和歌山県北部に縄文文化をもった小さな王国「名草国」があったと伝わっています。この社に名草国の女王「なぐさとべ」の御霊を祀っています。
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 竈山神社へ。日が暮れても人が大勢出ています。
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 日本神話に登場する初代神武天皇の兄ぎみのヒコイツセ命の墓と伝わる古墳の上に建つ竈山神社。
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 竈山神社の入口の鳥居の近くにある「をたけび橋」。ヒコイツセ命が流れ矢に当たりここまで来たが力が尽きて亡くなります。「ここで死ぬのは悔しい」と雄叫びをあげたと伝わる「をたけび橋」です。
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 和歌山市の三社詣りをするならこの社は絶対はずせません。日前宮(にちぜんぐう)です。日前国懸(ひのくまくにかかす)社とも。天照大神、思兼命(オモイカネノミコト)、石凝留命(イシコリドメノミコト)、天細女命(アメノウズメノミコト)などを祀っています。

 正月2日、日が没んでも参詣者はあとを絶ちません。
 和歌山は日(太陽)の没む国です。古い時代(2000年以上もの昔)沈む太陽にむかって手をあわせ、翌日も太陽が昇ってくれることを祈ったようです。
 天照(アマテラス)信仰は天ではなく、海(アマ)に沈む太陽に祈ったのだとは、江戸時代の本居宣長の説だとか。うなずける気がします。
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by kigaaris | 2017-01-02 21:33 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

熊野古道歩こう会2016年12月のご案内

KIGA 熊野古道 現地講座 第8回のご案内

●印南駅~切目王子~岩代王子へ

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    (切目海岸)

 師走に入り比較的暖かい日が続いています。12月は紀伊路の印南駅から小栗判官ゆかりの東光寺、切目王子、切目中山王子、有間皇子の結び松などをたどり、磐代王子まで歩きます。標高100m、約9kmの行程です。

【日時】  12月15日 AM 8:30
【集合】 JRいなみ駅
(JR和歌山6:54発が便利です(海南駅7:07)
【コース予定】 印南駅⇒東光寺⇒斑鳩王子⇒切目王子⇒切目中山王子⇒徳本上人名号碑⇒光照寺(有間皇子の碑)⇒岩代神社⇒岩代王子
【参加費】 500円
【持ち物】お弁当、お茶、雨具、保険証など
★ウオーク保険には加入していません。各自、任意でご加入下さい。
※申込は葉書、fax、e-mail 等でお申し込みください。
【締切】12月14日まで。
【申込】 fax 073-478-2711
     e-mail kiga@silk.plala.or.jp
640-0302 和歌山市永山83-5 KIGA (東)

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by kigaaris | 2016-12-09 21:45 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

平群を歩く 長屋王の墓と吉備内親王の墓をたずねて

 6月2日(木)、KIGA歩こう会では平群へぐり)の長屋王の墓と吉備内親王の墓をたずねて歩きました。先月は大雨で中止でしたが、今日はとても良いお天気に恵まれ、暑くもなく風が心地よいウオーク日和となりました。

 JR王寺集合、近鉄に乗り換えて参加者21名が平群駅に集まりました。数人が遅刻でしたがAM9時30分にスタート、高架をくぐり、民家をぬけて長屋王の墓に向かいました。 
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 一昨年、「和歌の浦のあけぼの~聖武天皇と宮子姫~」の公演の中に長屋王が登場しました。長屋王とはどのような人物であったのか・・・以下は表示板から抜粋です。
 
 長屋王は奈良時代初期、壬申の乱に功績にあった高市皇子の長男で、夫人の吉備内親王(きびないしんおう)とともに天武天皇の孫にあたります。皇親政治家で、神亀元年(724)に最高職の左大臣に就任し、聖武天皇を盛り立てて政治をすすめていました。

 神亀6年(729)2月10日、謀反の疑いで館を囲まれ、夫妻と4人の子どもが自殺に追い込まれます。(のちに無実であったことが判明します。)
 8月に天平と年号が変わり、藤原不比等の娘、光明子が皇后となりました。
 
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  お墓は綺麗に整備されています。 
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 『続日本記』によれば、長屋王夫妻の墓は生駒山に葬られたとの記載がありますが、平群の梨本の二つの墓が夫妻の墓という地元の伝承があり、明治の終わりごろから宮内庁がここを長屋王夫妻の墓として整備しているそうです。
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  長屋王の墓から左手(西)に少し歩くと吉備内親王の墓に通じる道がありました。
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 長屋王の墓は直径15m、吉備内親王の墓は直径20mの大きさです。 どちらも同じ円形のお墓です。
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by kigaaris | 2016-06-04 00:01 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

紀の川みち・西行法師の里をたずねて 打田~百合山峠を歩く

 KIGA歩こう会4月のご案内 

 桜がいっせいに咲きはじめました。4月は紀の川みち打田駅から下井阪まで歩きます。西行法師が育った里です。近くに美福門院の供養塔があります。打田・荒川あたりでは桃の花が咲いているでしょうか?

 写真は4月1日、雨の中の高積神社です。3月24日にKIGA熊野古道ガイドの会でここを訪れたときはまだ数枚の開花でしたが。1週間の間に見事に花を咲かせました。
 
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KIGA歴史街道歩こう会 4月のご案内
*日 時  4月7日(木)AM9:00
*集 合
  JRわかやま線 打田駅
    (JR和歌山駅8:19発⇒打田駅8:46着が便利です)
*コース予定 打田駅➡東田中神社➡西行法師像➡餓死人塚➡百合山新西国88か所めぐり➡旧大和街道➡下井坂駅(約10km)
*参加費  500円(郵送費・資料代など)
     (交通費・拝観料などは各自ご購入下さい)
【連絡先】 KIGA 熊野・高野国際語り部の会
      ℡・fax 073-478-2711 
      E-mail kiga@silk.plala.or.jp (東)


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 高積神社から高積山へのぼる参道脇の老桜です。高積山は桜の名所として知られています。
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by kigaaris | 2016-04-03 12:21 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

奈良・西大寺~佐紀路~平城京を歩くー3

 51代平城天皇陵です。50代桓武天皇の皇子です。在原業平の祖父で、雄略天皇、淳和天皇と兄弟となっています。
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 広い車道を横切ると平城宮跡にでました。
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 資料館内には当時の遺構がそのまま展示されています。実物大の建物の柱の跡です。
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 平城京は中央に朱雀大路が走り、北端に平城宮(内裏)がありました。740年、平城京から恭仁京へ遷都の時、取り壊されましたが745年、旧位置の東側(壬生門の北)に再建されました。
 その後、784年、長岡京(山城国)へ遷都され、以後は南都とよばれましたが、ふたたび平城京への遷都は実現しませんでした。
 古代には「ならのみやこ」と呼ばれていました。 京域は東西約4,3キロ、南北約4,7キロ。
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 現在、大極殿内に当時の様子が再現されています、大棟の上の両端にのるシビです。 2メートルほどの大きさです。
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by kigaaris | 2016-03-08 00:40 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

奈良・西大寺~佐紀路~平城京を歩くー2

 今年の急激な寒暖の差にもめげずに梅の花が咲いています。自然林と古墳のたたずまいが調和したおだやかな景観の中、入り組んだ路地に入ります。
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 日葉酢媛命陵(ひばすひめのみことのみささぎ)へむかいます。
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 日葉酢媛命陵です。日葉酢媛は第11代垂仁天皇の皇后です。垂仁天皇の先の皇后・狭稲媛が亡くなられたのち、丹波国から後宮として迎えられました。景行天皇の母ぎみ。
 『日本書記』によれば垂仁天皇32年に日葉酢媛が崩じた時、野見宿祢(のみのすくね=相撲の祖)の進言により、それまでの生きた人間の代わりに人や馬にに見立てた埴輪が埋葬されるようになりました。
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 日葉酢媛命陵で昼食をとり成務天皇陵へ。成務天皇陵は狭城盾列池(さきたてなみいけ)後陵との表示がありました。陵が縦に並んでいることがその名に由来とか。
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 成務天皇陵です。
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 成務天皇陵をあとにし平城天皇陵へむかいます。道沿いの祠のお地蔵さまはやはりカップルです。
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by kigaaris | 2016-03-07 11:59 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

奈良・西大寺~佐紀路~平城京へ

 3月3日(木)、KIGA歴史街道歩こう会では奈良県の佐紀路を歩きました。参加者23名、この日も晴天でした。最近、ウオークは晴れる日が多いです。

 西大寺の本堂をバックに。いつもは撮影する人は入らないのですが、この写真には撮影者の吉田圭治さんも入っています。吉田さんのパソコンの腕のみせどころでした。 
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 西大寺は第48代称徳(しょうとく)天皇の勅願により建立されました。称徳天皇って?…45代聖武天皇の皇女で女性の天皇さまです。46代孝謙天皇と同じ人で2度天皇の座につかれました。(重祚といいます)。

 この時代の女性の天皇で重祚されたのは他にも皇極・斉明(こうぎょく・さいめい)天皇がおられます。38代天智天皇(中大兄皇子)と40代天武天皇(大海人皇子)の母ぎみです。

 藤原京から平城京へ遷都されたのは和銅3年(710年)で、はじめは大極殿と内裏と官舎だけでしたが難波宮に遷都までの間に次々と寺や官僚の邸が建ち、10万人ほどの人が住むようになったそうです。 平城京の西の端に建つのが西大寺、東の端に建つのが東大寺です。
 
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 西大寺から再び近鉄の踏切をわたり東へ歩きます。平城京を右手に見ながら北へ、路地を歩くといきなり佐紀神社の鳥居に出会いました。このあたりは佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳とよばれ、多くの古墳があります。
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 佐紀神社の右手後方の釣殿神社の境内の椿がとても綺麗でした。釣殿神社の祭神は天児屋根(あめのこやね)命です。説明版によれば佐紀神社から分祀されたとのことです。
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 さらに北へ、日葉酢媛陵にむかって歩きます。沿道にお地蔵さまの祠がありました。このお地蔵さまはカップルです。
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by kigaaris | 2016-03-06 23:07 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

万葉のみち・山の辺のみちー2

 金屋の石仏です。右が釈迦仏で左が弥勒仏だそうです。高さ2、2m 幅約80cmで粘板岩に彫刻されています。彫られた年代は貞観時代か新しくても鎌倉時代で、文化財に指定されています。

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 三輪神社は大神神社とも呼ばれています。山そのものがご神体なので拝殿はありますが本殿はありません。『日本書記』によれば大物主神の后のヤマトトトイリヒメが、昼間、夫の顔を見たことがないので見せてほしいとお願いすると、櫛箱を見るようにと言われたので開けてみると白い小さな蛇が入っていたとの記載があります。
 折口信夫の『古代研究』によれば蛇、熊、雲、鴨の名は新しくやってきた渡来人に敗北した先住部族の人たちにつけられたとの記載があります。倭国ができる初期の時代、文化の違う人たちがこの地で融合するには長い年月がかかったと考えられます。

 今日は正門からではなく横(南側)の門から入りました。
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 巳の神杉とよばれる樹齢400年の大きな杉の木の前に卵が沢山供えられています。ご神体の蛇神さまの好物の卵をそなえる習わしがいつの頃からか始まったようです。
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 三輪神社の境内に狭井神社と久延彦(くえひこ)神社が並んでいます。久延彦神社は知恵の神様として知られています。
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 桧原神社へ向かいます。「くすり道」と書かれた標識を見ながら山裾の道に入ります。紀元前200年ごろの中国の晋の始皇帝の時代、徐福が海の中へ探しにいったという「テンダイユヤク」など薬草の木が並んでいます。テンダイウヤクは小さくて枯れそうでしたが・・・。 
 そろそろお腹がすいてきました。
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by kigaaris | 2016-01-18 23:39 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

万葉のみち・山の辺のみちを歩く

 1月14日(木)少し寒いけれど快晴です。

 KIGA歩こう会26名が奈良県の山の辺の道を桜井駅から歩きました。
駅前から車の行きかう道を歩くこと約15分、スーパーを左手に見ながら右側の狭い路地に入ります。

 標識がありました。山の辺の道まで900m、つばいち観音まで900mです。
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 橋を渡って川の岸辺を金屋へ向かって歩くと仏教伝来の地と刻まれた大きな石碑がありました。その手前の細い路地を北に向かいます。

 このあたりは古代には大阪から大和川をさかのぼってくる地であり、山の辺の道や上ツ道、山田道、初瀬街道など東西の交通の要所でした。「海拓榴市」(つばいち)と呼ばれ、日本で最古の市場が開かれていました。

 奈良時代以前、市が開かれる日には近隣の庶民から皇族まで多くの人があつまり、男女のお見合いの場でもあったそうせす。歌垣が行われ、多くの万葉の歌が歌われています。
 『日本書記』には武烈天皇が太子の頃、思いを寄せた影姫が物部シビと恋仲であったことを知り、シビの屋敷を取り囲み焼き討ちにし、山に逃れたシビを殺してしまう話が記載され、武烈天皇と物部シビの駆け引きの歌、恋人を殺された影姫の悲しみの歌が残っています。
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 ありました。私の好きな万葉歌です。

「むらさきは 灰さすものそ 海拓榴市の 八十(やその)のちまたに あへる児や 誰」 (巻12-31)

 古代、日本に文字がなかった時代、大事なことを歌に託して(時には秘密の暗号で)伝えたそうです。
 染物をする時、薬草の紫でも愛でも媒染財として木の灰を使いました。以前大津の染物屋を訪ねた時、媒染財には椿の木の灰が一番ですね、と言われました。そこではっと気が付いたのです、この歌の意味を。椿と「つばいち」をかけたあたりすごいなと思いました。
 ちなみに「むらさき」の枕ことばは女性にかかるという説があります。海南市の名高浦を読んだ歌にも「むささきの」の枕ことばが使われ一般に「むらさき」は名高の枕言葉となっています。
 
 山の辺の道にはたくさんの万葉歌碑がありました。この書は今 東光さんによるものです。
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 巻向川にそった道沿いに椿の花が咲いていました。
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by kigaaris | 2016-01-15 23:07 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)

2016年1月の歩こう会

2016年1月 歴史街道歩こう会のご案内

奈良・山の辺の道を歩く
桜井駅~大神神社~桧原神社~長岳寺~崇神天皇陵へ

2016年1月は奈良の桜井駅から山の辺の道を歩きます。
*日時  平成28年1月14日(木)
集合  JR和歌山駅AM7:30
 (7:42発快速天王寺行乗車➡9:01発大和路快速乗車➡9:40発万葉まほろば線・和歌山行乗車➡10:0桜井駅)

*コース予定 桜井駅➡つばいち観音➡金谷の石仏➡大神神社(三輪明神)➡玄賓庵➡桧原神社➡東海自然歩道➡樫山古墳➡崇神天皇陵➡長岳寺➡黒塚古墳➡柳本駅(約8、5キロ平地)
*参加費500円(資料代、郵送費など。交通費(JR切符)拝観料などは各自でご購入下さい)
*申込 葉書・FAX・E-mail等でお申し込み下さい。締切は1月10日まで。
*連絡先 640-0302 和歌山市永山83-5 
℡・fax 073-478-2711
E-mail kiga@silk.plala.or.jp KIGA歴史街道歩こう会 (東まで)

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 桧原神社の鳥居は横板のない古代様式です。ご祭神は天照大神です。崇神天皇と-紀伊国のアラカワトベの娘のトホツアフメマクハリヒメとの間の皇女のトヨスキイリヒメがアマテラスの御霊をもってこの地に鎮座され、そののち紀伊国に浜の宮など全国を周って鎮座地を探し、最後に伊勢神宮に鎮座されたそうです。

 長岳寺境内で猫ちゃんのお迎えです。広い境内に猫が数匹いました。
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長岳寺の近くの観光案内所の駐車場にマユミの花が満開でした。
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by kigaaris | 2015-12-27 23:50 | KIGA歴史街道歩こう会 | Comments(0)