沿道に並ぶ旅籠に古道の佇まいを感じながら、近露の里を歩きます。500mほど歩くと道が狭くなり、山の登り口付近に野長瀬一族の墓がありました。
南北朝時代、この地にすむ野長瀬一族が後醍醐天皇の子の大塔宮護良親王を助けた功績により「横矢」の姓を賜ったと『太平記』に記載され、この墓地には横矢さんの墓が多く見られます。
何気ない山の景色ですが、いつの頃からか「乙女の寝顔」と言われるようになりました。熊野古道を歩く人たちは本当にロマンチストだったのですね。
近野小学校を左手に見て、右手の急な階段をのぼると広い境内があり、近野神社です。今日はここで昼食タイムをとりました。
近野中学校を通り、楠山坂の急坂を上りきった所に石仏が立っています。舗装された上り坂が続きます。
月待供養塔と書かれています。三体月伝説の伝わる高雄山にほど近いところです。
緩やかな勾配ですが、まだまだ登り坂です。
中央やや左手のとがった山が見えます。三日森山です。熊野古道には地元の人や行商の人達が使うもう一つの道があり、この山の道もそうです。
説明版によると、小栗判官の妻の照手姫が夫を箱車にのせて、この山を越えるのに3日かかったことから「三日森山」と言われるようになったそうです。
熊野古道には山野草が多く見られます。この花たちの名は何というのでしょうか?
比曽原王子につきました。楠山坂の上り口から約1,3km。
ここから継桜王子まで約1、2km。上りが続くので結構きついですが、周囲を山に囲まれた大自然の中で、珍しい草や花をみながら歩けば気分はさわやかです。
集合写真を撮りました。