9月21日(木)、前日の雨が嘘のようにからりと晴れた1日となりました。
午前9時15分。KIGAのメンバー11名が車に乗り合わせて中辺路の道の駅へ着きました。今日はここから箸折峠へ上ります。
道の駅の「牛馬童子像」のレプリカは、最近建てられたものです。
国道を渡り、向かい側の山の中に入ります。左に行けば大阪本王子へ、右に行けば箸折峠へ向かいます。急な登り坂を上ること約800m。
途中の平坦な民家の跡らしきスペースは今は杉でおおわれています。
道路右手の小高い丘に宝篋印塔と牛馬童子像が立っています。牛馬童子像は明治の時代に建てられたものです。以外に小さな像ですね。
牛馬童子像の後方に建つ宝篋印塔。古い時代にはこの宝篋印塔が熊野古道の名所の一つでした。手前の木の根っこに2体の仏像を浮き彫りした石が置かれています。
宝篋印塔に何か刻まれています。文字でしょうか?人の顔のようにも見えますが・・・。
牛馬童子像の隣に並ぶのは役行者です。
牛馬童子像は悲劇の花山法皇をイメージしたと伝わっています。花山法皇は若くして天皇に即位しましたが、権力の野望の渦に巻き込まれ皇位を失うこととなりました。
失意の法皇が熊野詣でに来られ、ここで昼食をとられました。箸がないので木の枝(萱)を折って箸の代わりにしょうとした時、その箸から赤い汁が出たので「血か露か」と聞かれたのが「近露」の地名の由来となり、箸折峠の名となったそうです。
狭い棚田が並ぶ道を降りると日高川の美しい景観が広がっています。
旧国道を少し歩き古道へ入ります。曼殊沙華が満開でした。もう秋ですね。
日高川に架かる橋から見る山間の景色は静けさそのものです。右手のほうに名湯「ひすいの湯」があります。
近露王子の入り口に萩の花が咲いていました。
「近露王子跡」と刻まれた石碑は昭和の始め頃、大本教の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)氏の建立と筆によるものですが、当時、大本教の弾圧があり、この石碑が取り壊されることとなりました。その時、地元の横矢氏が自分の名前と書き替えて難をのがれたと伝わっています。
境内には大きな楠の古木が並んでいましたが、明治時代、神仏分離令が発令され、南方熊楠の猛反対にもかかわらず、これらの古木は伐採され、王子は近野神社へ合祀されることとなりました。