東 道のきのくに花街道

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熊野古道・紀伊路 内原~道成寺~岩内王子へー4

 道成寺で記念撮影をしました。この日の参加者は11名の筈なのに9名?撮影の正木さんをひいても10名の筈なのに・・・。
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 道成寺のご本尊さま、木造千手観音像です。素晴らしいですね。

 道成寺は文武天皇の勅願寺で、天皇の后であり、聖武天皇の母ぎみの宮子姫が文武天皇にお願いして建てられたそうです。
 宮子姫はこの九海士の里に漁師の娘として生まれました。髪長姫ものがたりとして知られていますが、あまり全国的には知られていないようです。

 一昨年、和歌山県ディスティネーションキャンペーン事業として、紀伊万葉NW、海南万葉の会主催で劇団KCMの協力により「和歌の浦のあけぼの~聖武天皇と宮子姫~」を公演しました。
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 石段を下りると土産物店が並んでいます。
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 土産物店の前を通らずに、もとの熊野古道に戻って歩きます。𠮷田八幡神社の山裾に可愛いお地蔵さまが並んでいました。
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 九海士(あま)王子です。『御幸記』に「クワマ」と書かれ、『九十九王子記』(文明5年・1472)には「クアマ」と記載されており、九海士、海士と書かれるのは近世のことです。

【宮子姫のものがたり】
 宮子姫はこの地の漁師の娘として生まれたが、生れつき髪が生えず両親の嘆きはひとしおであった。ある日、母親の渚が海の中から黄金の仏像を拾いあげ一心に祈っていると、不思議なことに娘の髪が生えはじめた。

 やがて娘は髪長姫と呼ばれるほど見事な黒い長い髪の持ち主となった。 一羽の雀がこの髪をくわえて都に運び、時の文武天皇の目に留まった。
 当時は長い髪が美人の条件であった。全国を探し求めて宮子姫を見つけ、時の右大臣藤原不比等の養女となり、文武天皇の后となり聖武天皇を生んだ。

 道成寺は文武天皇の勅願により紀国司の紀道成が建立したが、道成は山から材木を切り出す途中、中津川で濁流にのまれて亡くなった。その犠牲の功により、道成寺と名付けられたそうな。
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by kigaaris | 2016-10-29 00:09 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)