東 道のきのくに花街道

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熊野古道・紀伊路 内原~道成寺~岩内王子へー2

 川沿いの道を南へ向かうと徳本上人の名号碑が立っています。熊野古道の各所に建ち、すぐにわかる独特の文字ですね。
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 徳本上人の碑の前の道を行かずに、一旦戻って川沿いの道を少し歩き、車道を渡って民家の並ぶ路地へ。路地を抜けると再び古道に出ます。(この辺は道に迷いやすいので要注意)
 さらに歩くと、右手の民家の壁に「愛徳山王子」の小さな標識があります。よくよく注意しないと見落としそうな小さな標識です。
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  竹藪の中の狭い道ですが、ここが古道です。
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 愛徳山王子です。杉や槙に囲まれた自然林の中に、かつては三反二畝(728,2㎢)あったこの王子社も近年は宅地が広がり、往時の雰囲気がなくなってしまいました。 
 愛徳山王子は現・美山村の阿田木神社から勧請されたそうです。(『日高郡誌』)
 『紀伊名称図絵』によれば、延喜22年(922)10月10日、神霊が日高川の支流の寒川の郷の大原の峯に天下り、閃光がさすのを狩人が見た。7年後、阿田木原に出現され、愛徳山権現として祭祀した。31年後の寛治5年8月21日、巾子形原(こじがはら)に遷座された、と記載。
 天仁2年(1110)2月13日、糸尾宮に鎮座。愛徳の名は阿田木の起因している、との記載があります。 
 上皇や女院たちの熊野御幸に際し、皇族がたの寺社や各王子への奉納の品や、食料、菓子、薪その他の生活用品の供給が、院領、国司、沿道諸荘園への課役としての負担が求められたようです。
 『神護寺文書』に久安2年(1141)、鳥羽院領紀伊国真国荘(現・美里町)の御熊野詣雑事支配注文の紹介が見られる。(向陽書房『熊野古道』)
  院政時代、最も盛んであった上皇たちの熊野詣の裏に、それらの課役を調達する村々と、もう一つの熊野道があったと推測できる。
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by kigaaris | 2016-10-27 23:30 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)