18丁石仏を過ぎると藤白峠の頂上です。県内四大宝きょ印塔
(ほうきょいんとう)のひとつです。地蔵峯寺の境内にあったので、寺と同じ時代の15世紀前半に建てられたと考えられます。(説明板より)
宝きょ印塔は法きょ印陀羅尼経のお経をおさめることにより、もろもろの功徳が得られると考えられていました。高さ12,5尺(3,788m)あります。
地元の伝説では大野城の城主の山名義理がこの地から由良の興国寺に逃れた時、ここに建てたという説もありますが確証はありません。
地蔵峯寺に着きました。
地蔵峯寺の中の大きなお地蔵さまは緑泥片岩の一枚石を削って作られています。光背に作者の名があり「勧進聖沙門心静
(ごんのひじりさもんしんじょう) 元享
(げんこう)3年(1322) 大工薩摩守権行径
(さつまのかみごんゆきつね)」と刻まれています。一枚岩で彫った石仏としては最大級のものだそうです。先に仏像が作られ、お堂は後の時代に建てられました。
地蔵峯寺の右側から後方にまわると御所の芝です。後鳥羽上皇たちもこの景色を眺めたのでしょうか。昭和30年頃までは美しい海岸線でしたが、今はびっしりと建物が立ち並んでいます。中央の名草山は今も昔も変わらない風貌を保っています。
足元に珍しい万葉時代にシダが生息していました。