東 道のきのくに花街道

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熊野古道・紀伊路 川端王子~伊太祁曾神社へ

 3月24日(木)、熊野古道英語ガイドのメンバー達13名が布施屋駅から歩きました。古道沿いの空地にニラ(くくみら)が満開でした。万葉集に歌があります。

 さはつくの 岡のくくみら 我摘めど 籠(こ)にも満たなぶ 背なと摘まさね     
                           (巻14-3444)
 意味は「さはつく(地名)の 岡のくくみらは私が摘んでも籠に満たないのです。それならあの人と摘みなさいな」(紀伊万葉ネットワーク『万葉草木花』)
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 布施屋駅から歩くこと数分で川端王子です。この王子は中世の記録に記載がなく、江戸時代に和佐に2つの王寺社があり、その一つが川のそばにあったことから川端王子と呼ばれるようになったそうです。 
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 民家の庭先の桃の木です。青い空に向かって伸びています。
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 集落を抜け古道を外れて少し北へ行くと小さな川があります。何のへんてつもなさそうな川ですが、実は・・・この川に架かる橋が地元では小栗橋と呼ばれているのです。
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 ありました・・標識が。小栗橋(おぐりばし)と書かれています。
 熊野古道は小栗街道とも呼ばれ、小栗判官と照手姫が通った道として有名です。      
 常陸(ひたち)国の小栗城城主の息子(京の四条大納言の息子とも)として生まれた小栗は毒酒を飲まされ黄泉国へ落ちるところを、家来13人の嘆願により餓鬼阿弥(がきあみ=ハンセン病?)となってこの世の戻ります。熊野本宮の湯の峯をめざして照手姫とともに旅を続けました。その様子は歌舞伎や浄瑠璃などで語り継がれてきました。
 江戸時代に編纂された『紀伊続風土記』によれば、旧川端王子は現川端王子の西七町(700m)にあったそうです。ここが熊野古道の旧川端王子社に推定されています。
 橋ですか?なんのへんてつもないのでカメラに撮るのはやめました。
 
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by kigaaris | 2016-04-05 00:56 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)