東 道のきのくに花街道

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大雲取超えに挑んだシニアたちー地蔵茶屋に着きました。

 さる4月3日、KIGA主催の大雲取超えを60代から70代の14名が、語り部の玉置さんの案内で歩きました。後半を掲載します。
 歩きはじめてからずーっと雨、雨、雨。まるで地元伝承の丹敷戸畔(にしきとべ)の涙ではないかと感じたのは私だけでしょうか? 
 那智から田辺へ、そして紀北へと抜ける官道のとおるこの地域には、縄文文化をもった丹敷戸畔(にしきとべ)という一族が暮らしていました。2000年ほどまえ(1600年ごろとも)の伝承が残っています。
 『日本書記』には、神武天皇一行がやってきて刃向ったので殺されたと記載があります。農耕、織物、そして鉄や青銅など鋳造技術をもった渡来系の一族がやってきたのです。記には神武天皇たちは大熊の毒気にあたり気をうしなった、と書かれています。 この那智山周辺は農耕に適した土地が少ないので、新しい文化を受け入れる地形条件ではなかったことや、文化、言葉の違いもあって敵対したのではないでしょうか?ところで神武天皇は実在しない、というのが近年の研究者の見解です。ではいったい神武天皇って誰?
 民俗学の権威として知られる折口信夫氏の『古代研究』には、新しい渡来系の人たちに負けた先住民たちはクモやカモ、クマ、クスと呼ばれたとの記載があります。大雲、小雲の地名の由来のようです。海南市にもクモ池で名草戸畔(なぐさとべ)が殺されたと伝わっています。

  約1.3キロの林道はゆるやかな下り坂です、左手に川を見ながら歩き、ようやく昼食の地蔵茶屋跡の小屋に着きました。小口から上ってきた外国人数人入れ替わりに出ていきました。
 身体の中まで雨に濡れてしまったので、時間がたつと寒くなってきます。20分で昼食をおえ、再び出発です。 地元の見回りの人がきて、「この雨の中で歩くのは無理だから引き返したほうが良いですよ」と言って下さったのですが、引きかえすにしても約11キロ、前に進んだほうが早いのではないかと思いました。でもそれは甘い考えであることがその後、わかったのです。

 地蔵茶屋跡のそばにお地蔵さまを祀る小さなお堂が建っていました。
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 茶屋跡からいきなり登り坂です。林道が交差する最後の地点なので、いまならタクシーを呼ぶことができます、と語り部さん。
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 古道の脇の歌碑が立っています。「紀伊のくに 大雲取の峰こえて 一足ごとに わが汗はおつ  斉藤茂吉作 畑尻熊夫書」と刻まれています。
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 登り坂が続いています。途中、石仏がありました。 
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 石倉峠の標識です。ここから急な下り坂となっています。
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by kigaaris | 2015-05-27 23:51 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)