東 道のきのくに花街道

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小雲取超えを歩くシニアたちー2

 平安時代末期から鎌倉時代にかけての院政時代、上皇や女院の熊野御幸が最も盛んな時代でした。多い時は800人ほどで歩いた記録があります。「蟻の熊野詣」と呼ばれるのは人数が多いだけでなく、身分の高い人も低い人も列を連ねたことからきています。 
 本宮から川を下り新宮へ、さらに那智へと詣でたあと再び新宮から川を上って本宮へ戻るのが通常のコースでした。古い時代には雲取超えをすることは少なかったそうです。
 小雲取は西行法師の歌に「志古の山路」とよまれています。 
 また御鳥羽上皇の御幸のお供をした藤原定家の旅日記「後鳥羽院熊野御幸記」には小雲取を紫金峯との記載があり、夕陽の映える如法山のことのようです。
 雲取超えが盛んになったのは近世になってからなのです。 
 写真の下のほうに家が小さく見えています。桜茶屋から白いものが見えたら餅をつく、という話が伝わっています。白いものとは古代、熊野詣には必ず着用していた白い旅衣のことなのです。
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 いまは古道は整備されて綺麗になっています。
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 山ツツジが疲れを癒してくれます。
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 大雲取超えほどではないけれど、やはり雲取超えはきつい登り道が続きます。前半はほとんど登り坂です。途中、少しやすんで玉置さんのお話を聞きました。
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by kigaaris | 2015-05-12 22:37 | KIGA・熊野古道歩こう会 | Comments(0)